母が亡くなってから二年。三回忌が近づく頃になっても、私は母を送るための準備にほとんど関われずにいた。
寂しさが少しずつ日常の中に溶け始めた一方で、母の姉である伯母の振る舞いに、どうしても引っかかるものが残っていた。
私は娘なのに、母の法要になるといつも少し外側に置かれているような気がしていた。
「グループLINE? あなた入ってないの?」
最初に違和感を覚えたのは、一周忌のあとだった。
いとこから「この前の写真、グループに載せたよ」と連絡が来た。何のことか分からず聞き返すと、法要の連絡や写真を共有する親族のグループLINEがあるという。
「伯母さんが作ったやつ。あれ、入ってないの?」
私のほうが驚いた。
伯母に聞くと、「人数が増えるとややこしいから、必要なことは私から伝えるね」と言われた。
「法要の連絡に使ってるなら、私も入れてもらえない?」
そう頼んだが、「また今度整理するときにね」と笑って流された。
連絡そのものが来ないわけではない。ただ、いつも決まったあとに知らされる。その小さな違いが、妙に胸に残った。
「もう決めたから」が続く
三回忌が近づくと、その感覚はさらに強くなった。
お寺の日程が決まったあとに連絡が来る。会食の店も、花の手配も同じだった。
「何か私にできることある?」
そう聞いても、伯母から返ってくるのは、「大丈夫よ。こっちでやってるから」という言葉だった。
一度、私は会食の候補をいくつか調べて送った。母が好きだった料理を出す店も入れて、「こういうところもどうかな」と添えた。
返事はすぐに来た。
「ありがとう。でも、もう予約したの」
悪意のある言葉ではない。それでも、相談される前にすべてが終わっていく。
母の三回忌なのに、私はただ日時を知らされて参加する人になっていた。
なぜ伯母がそこまで仕切りたがるのかは分からなかった。ただ、当日はきちんと出席しようと思った。母を思う時間まで、伯母とのことで嫌なものにしたくなかった。
「今回は私が全部やったの」
三回忌当日、読経を終えたあと、親族で会食の席についた。
食事が始まってしばらくすると、親戚の一人が伯母に「いろいろ手配してくれてありがとう」と声をかけた。
伯母は笑って、「今回は私が全部やったのよ。お寺もお花も、お店も。こういうのは誰かがまとめないと進まないでしょう」と答えた。
私は黙って聞いていた。
そのとき、母の弟である叔父が少し不思議そうな顔をした。
「全部?」
伯母が「そうよ」と答えると、叔父はこちらを見た。
「てっきり、娘とも相談して決めてるんだと思ってたけど」
伯母の表情がわずかに止まった。
叔父が取り出した母のメモ
叔父はしばらく考えたあと、「そういえば」と鞄から一冊の薄いノートを取り出した。
「これ、姉さんが入院してた頃に俺に預けたやつなんだ」
私は初めて見るノートだった。
母は亡くなる少し前、自分がいなくなったあとのことを気にして、葬儀や法要について希望を書き残していたという。細かな段取りというより、「派手にしなくていい」「花は白だけにしなくていい」「親戚だけで食事ができれば十分」といった簡単な内容だった。
叔父は一周忌の前に、その内容を伯母にも伝えていたらしい。
「俺は二人で相談してるんだと思ってたんだけどな」
そう言って、あるページを開いた。
そこには母の字で、
「法要のことは、娘にも必ず相談すること。あの子のほうが私の好みをよく知っているから」
と書かれていた。
私はしばらく、その一文から目を離せなかった。
「忙しいと思ったから」
伯母は少し黙ったあと、「だって仕事もあるし、忙しいと思ったから」と言った。
「それに、こういうのは私のほうが慣れてるでしょう?」
私はそこで初めて口を開いた。
「忙しくても、相談はしてほしかった」
責めるような言い方にはしたくなかった。ただ、それだけは伝えたかった。
「全部任せたいわけじゃないの。お母さんのことだから、私も一緒に考えたかっただけ」
伯母はすぐには返事をしなかった。
叔父が間に入り、「姉さんもそうしてほしかったんだろ」と静かに言った。
大げさな言い争いにはならなかった。ただ、それまで曖昧だったものが、その場で初めて言葉になった気がした。
母のノートを受け取った
会食が終わる頃、叔父がノートを私に差し出した。
「これは持っておいたほうがいいと思う」
私は両手で受け取った。
ページをめくると、法要のこと以外にも、好きだった花や、親戚への連絡についての簡単なメモが残っていた。
母が私に何かを託すためだけに書いたものではない。それでも、「娘にも必ず相談すること」という一文があるだけで十分だった。
私は勝手に外されていい人ではなかった。
そう思えた。
その後、少し変わったこと
三回忌のあと、伯母から親族のグループLINEに招待された。
特別な謝罪があったわけではない。ただ、それ以降は親族で何か決めるとき、「この日でどう?」「この店を考えてるけど大丈夫?」と、決まる前に連絡が来るようになった。
伯母との関係が急に親密になったわけでもないし、今でも考え方が合わないことはある。
でも、以前のように「決まったから」と結果だけを知らされることはなくなった。
母のノートは、今は私の本棚に置いてある。
ときどき開くと、几帳面な母の字が並んでいる。その中にある「娘にも必ず相談すること」という一文を見るたび、少しだけ救われる。
母が亡くなったあとまで、母に守ってもらいたかったわけではない。
ただ、母のことを大切に思う人の一人として、そこにいていい。
それを確認できただけで十分だった。
さいごに
家族の中で「あなたには後で伝えればいい」と扱われることは、ひとつひとつは小さくても、積み重なると寂しいものです。
相手には「忙しいだろうから」「自分がやったほうが早いから」という理由があっても、本人が関わりたいかどうかまで決めてしまうのは別の話なのかもしれません。
大切な人のことだからこそ、「決めてから伝える」のではなく、「一緒に考える」ことが必要な場面もあります。もし家族の大切なことから自分だけ外されていると感じたら、あなたならどう伝えますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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