「来てくれると助かるから、早い方がいいわ」
という義母からのLINEが届くたびに、胸の奥でため息をつきながらスマホを置く。
仕事を調整して、子どもの送迎の段取りを組み替えて、週に3回義母の家へ向かう。
それでも玄関を開けた瞬間に返ってくるのは、いつも”ダメ出し”だった。
「その洗い方、前も言ったでしょ」
義母は体の具合が悪く、一人では不安なのも本当だと理解している。だから来ている。
でも、台所に立って食器を洗い始めると、すぐに声がかかる。
「スポンジはあっちのを使って」「すすぎが足りない」「前もそう言ったわよね?」
責めているというより、当たり前のことを教えてあげている、というトーン。それがかえって、じわじわ来る。
ありがとうの一言より先に、まず「違う」が来る。
感謝を期待していた自分に、気づいてしまった
ある日、義母の家から駐車場に戻った瞬間、急に涙が出てきた。
怒鳴られたわけじゃない。ひどい言葉を言われたわけでもない。
ただ2時間かけて家事をして、最後に「電球も換えてもらえればよかったのに」と言われただけ。
……それだけ、なのに。
帰り道にやっと気づいた。
私、「ありがとう」を待っていたんだ、と。
感謝されたいという気持ちを自分では認めていなかったけれど、確かにそれを求めていた。そしてもらえないたびに、小さく傷ついていた。
「そっくりな話」が、ざくざく出てきた
転機は、夫に背中を押されて参加した地域の介護者交流会だった。
初めて会う人ばかりなのに、話を聞いていると「あ、これ私だ」と思う場面が次々出てきた。
「行くたびにやり方を直される」「感謝より要求が先」「でも本人は悪気がないみたいで」──誰かが言うたびに、小さくうなずいている自分がいた。
自分だけじゃなかった。それだけで、なぜか少し息ができた気がした。
帰り道、ぽつりと気づいたことがある。
義母は「助かるから来て」とは言う。でも「ありがとう」とはほとんど言わない。たぶん義母にとって「助かる」が感謝の代わりなのだ。
不器用な、あるいはそう育ってきた人の、精いっぱいの表現なのかもしれない。
正直、それで全部が腑に落ちたわけじゃない。やっぱりもう少し言葉にしてほしいとは思う。
でも「この人は感謝を言葉にするのが苦手なんだ」と前提を変えたら、ダメ出しがちょっとだけ軽くなった。気がした。
さいごに
来週また義母の家に行けば、きっとまた何か言われる。それでも「自分だけじゃない」と知れたこと、「感謝の形は人によって違う」と思えたことは、小さいけれど確かな変化だった。
介護のしんどさって、体よりも心の消耗が大きかったりしますよね。あなたが感じている疲れは、弱さじゃなくて、それだけ一生懸命やってきた証だと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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