正月の挨拶は、みかんの香りと、少しよそ行きの会話で始まりました。夫と私、そして義母。三年目なら慣れてきてもよさそうなのに、その年は胸の奥に小さなざわつきがありました。
「次は“あの子”も呼ぶから」
義母が茶器を並べながら言いました。「次は“あの子”も呼ぶから。うちの家族にぴったりなの」
“あの子”。数カ月前、夫のスマホに届いたメッセージで見た名前。テーブルに置きっぱなしの画面に、お誘いのメッセージが光っていました。夫は私に謝り、泣くほど頭を下げて、連絡を絶つと約束しました。二人でカレンダーを前に、もう一度やり直すと決めたはずでした。
なのに、どうして義母の口からその子の話が出るのか。私が顔を上げると、当然のことのように続けます。「同級生で、しっかりしてるって聞いたのよ。前にこの子が言ってたでしょ」
後で知ったのは、あの後、夫が一晩だけ実家に泊まり、義母に事情を話していたこと。さらに、近所の“同級生の母”の集まりで、その子が今は一人だという噂まで耳に入っていたそうです。
「若い子に譲ってあげなさい」
義母はお屠蘇をすすめながら、私を正面から見ました。「男はそういうものよ。若い子に譲ってあげなさい」
「お義母さん、それは違います。私たちのことは、二人で決めます」できるだけ声を落ち着かせて返しました。夫も横から「母さん、その話はもう終わったんだ」と入ります。
けれど義母は止まりません。「終わってないでしょ。連絡先、誰かに聞けば分かるわよ」
その一言で、もう決めました。「こういう話を続けるなら、私はもう来ません。悪いけど、帰ります」
その場で喧嘩にするつもりはなく、深追いもしませんでした。夫に目で合図し、挨拶だけ済ませて家に戻りました。
家族でも、受け取らない選択
帰宅してから、夫と話しました。夫は「母さんには俺から言う。もう言わせない」と言い、実際に電話で、「二人で決めた。次からは俺だけ行く」と伝えてくれました。
当面の行事は夫だけで顔を出すことに。私には直接連絡をしないようにもお願いしました。お盆、法事、いくつかの用事を私は見送りました。最初は胸がざわついたけれど、行かないと決めたら、呼吸が楽になるのが分かりました。
誰の家でも、聞きたくない言葉はある。家族の言葉だからこそ刺さることもある。だからこそ、受け取らないでおく選択肢を持っていい。そう思えた正月でした。
夫とは、あの日の約束を今も続けています。携帯はロックをやめたわけではないけれど、出どころの分からない噂より、毎日の生活を丁寧に過ごすほうが私たちには合っている。義母のことは、時間をかけて距離感を分かってもらうしかないのだろう、と今は距離を保ちながら考えています。
さいごに
誰かの「当たり前」に、こちらの気持ちがつぶされそうになること、ありますよね。家族の場でも、自分を守る一歩を選んでいいんだと教えてくれる出来事でした。
同じようにモヤッとする言葉、あなたならどう受け止めますか?無理を重ねないための距離感、どこで決めていますか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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