プロポーズされた夜、彼が差し出してくれた婚約指輪はシンプルだった。でも、とても温かみのあるデザインだった。「一緒に生きていこう」という言葉が、まだ耳の奥に残っている。——あの幸福感が、3ヶ月後にこんな形で崩れるとは、思ってもみなかった。
「嫁になるなら、それくらい当然でしょ」
最初に彼のお兄さん(43歳)と会ったのは、婚約の挨拶を兼ねた食事の席だった。
彼のご両親はおだやかで、私もすっかり安心していた。ところが食後のコーヒーが出たあたりで、お兄さんがおもむろに口を開いた。
「うちの両親、もう70代だから。嫁に来るなら、介護の担い手になってもらうことは前提で考えてるから」
え……?
「弟も仕事があるし、俺は近くには住んでないから。そういう役割分担で、当然でしょ」
笑顔のままそう言い切るお兄さんを見て、私は一瞬、言葉を失った。
隣に座っていた彼は、視線をテーブルに落としたまま何も言わなかった。
「通帳は家族で管理する、これも条件のひとつ」
それが始まりだった。
その後もお兄さんからの「条件」は止まらなかった。
次の顔合わせでは、「弟の給与口座は結婚後も家族で管理する習慣がある」と言い出した。家族で管理、という言葉の意味が最初はわからなかったけれど、要するに——毎月一定額を「家族口座」に入れ、お兄さんが取りまとめるということだった。
「財産は家族で守るもの。○○さんにも理解してほしい」
その場でも、彼は黙っていた。
さらに後日、LINEで送られてきたのは「実家への月々の仕送り額の目安」だった。二人の手取りから計算されたその金額は、私が見てもかなりの負担になる数字だった。
——これは、結婚の話ではなく、労働と搾取の話だ。
じわじわと、そう感じ始めていた。
「お兄さんに言ってほしい」と頼んだ夜
さすがに限界を感じた私は、彼と二人で話し合いの場を設けた。
「お兄さんに、少し待ってほしいと言ってもらえない? 介護も通帳管理も、まだ私たちが決めることじゃないと思うの」
彼は静かに、でもはっきりと言った。
「兄さんは長男で、家のことを真剣に考えてるんだよ。頭ごなしに否定したくない」
「……否定じゃなくて、一緒に考えたいと言いたいの」
「でも、兄さんを怒らせると面倒なんだよね」
面倒。
その一言が、私の中で何かが冷めた。
私は怒鳴りも泣きもしなかった。ただ、「そっか」とだけ言って、その夜は帰った。
——そして家に帰る電車の中で、ひとつのことを決めた。
婚約指輪を外したのは、泣いてからではなかった
家に帰って、しばらくぼんやりと座っていた。
怒りというより、胸の中に静かな冷たさがあった。
——彼がお兄さんの前で何も言えないのは、今に始まったことじゃない。これから先も、きっと変わらない。そして条件が増えるたびに、彼は「面倒だから」と沈黙を選ぶのだろう。
私は一人で介護を押し付けられ、通帳を管理され、仕送り額を決められ、それでも「嫁なんだから当然」と言われる未来を、ゆっくりと想像した。
左手の指輪を、そっと外した。
翌日、彼に会って話した。
「婚約を解消させてほしい」
「……兄さんのこと、そんなに嫌いになったの?」
「お兄さんの話じゃなくて、あなたとの話をしています」
兄の前で黙っていたこと。私が頼んでも「面倒」と言ったこと。これから先も、同じことが続くと思ったこと。
彼は何度か口を開きかけたけれど、最終的には「……わかった」と言った。
条件を突きつけたお兄さんの反応
婚約解消のあと、お兄さんから一度だけ連絡があった。
「話し合いの余地はないのか」という内容だった。
私は丁寧に、でも明確に断った。
返信はなかった。——あれだけ堂々と「条件」を並べていた人が、こちらが一歩も引かないとわかると、急に静かになった。
それが少し、おかしくもあった。
その後、私が気づいたこと
しばらくは空白のような日々が続いた。
でも、不思議と後悔はなかった。
むしろ、あのまま結婚していたら、という想像のほうが、ずっと怖かった。
今は、自分のペースで仕事をして、好きな人とゆっくりご飯を食べて、休日は好きなように過ごしている。
誰かの「条件」に縛られることなく。
さいごに
一方的な条件を並べられたとき、本当につらかったのは「お兄さんの言葉」より「彼が黙っていた」という事実だったのかもしれません。いざというとき、パートナーが自分の隣に立ってくれるかどうか——それって、結婚を決める前に気づけてよかったことかもしれませんね。あなたなら、そんな場面でどうしますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント
狂った兄ですね。北朝鮮ですか?