義父が孫を差別をする、という話は結婚前から夫に聞かされていた。でもまさか、これほどあからさまだとは思っていなかった。
娘が初めて「なんで私だけじいじに無視されるの?」と聞いてきたのは、彼女が5歳の冬のことだ。
「長男の孫とは違う。それだけだ」
義父は80代で、地方議員を長年務めた経歴を持つ。地元ではそこそこ顔が利いたらしく、自分の判断は絶対だという空気をまとって生きている人だった。
長男(義兄)一家との付き合いは密で、週末になると義兄の子どもたち2人を呼んでは食事をし、お小遣いを渡し、旅行にも連れて行く。
一方、私たち次男一家の娘には、会っても目を合わせることすらほとんどなかった。
あるお正月、義父が封筒を取り出して義兄の子ども2人に手渡した。娘がそっと手を伸ばすと、義父はこう言った。
「お年玉は長男の孫だけでいい」
娘の手が、宙に浮いたまま止まった。
隣にいた夫が「父さん……」と声を出したが、義父は「長男の子とは違う。それだけだ」と繰り返し、話を終わらせた。
介護が始まっても、差別は変わらなかった
義母が体を壊したのを機に、義父の介護問題が浮上したのは娘が小学校に上がった頃だった。
長男一家は遠方に住んでおり、物理的に動けない。近くに住む私たち次男一家に、自然と話が向いてきた。
夫は長年、義父の扱いに傷ついてきた人間だ。それでも「親だから」と、通院の付き添いや買い物の手伝いを引き受けていた。私もできる範囲で協力した。
ところが義父は、私たちの助けを「当然のこと」として受け取るだけで、態度は何も変わらなかった。
娘が一緒に訪ねても、義父は長男の孫の写真ばかり眺めて話しかけてもこない。娘が「じいじ、これ見て」と描いた絵を差し出しても、ちらりと見て「そうか」と言うだけ。
娘はそれでも懸命に懐こうとしていた。その姿が、見ていてつらかった。
娘の一言が、すべてを変えた
ある夜、娘が布団の中で静かに泣いていた。
そっと理由を聞くと、「じいじは私のこと嫌いなの? パパのお兄ちゃんの○○君はいいのに、なんで私はだめなの?」と言った。
私は何も答えられなかった。
夫に話すと、しばらく黙っていた。そして「……ごめん。もうやめよう」とだけ言った。
翌日、夫は義父に電話をした。怒鳴りもせず、責めもせず、ただ静かに伝えた。
「これ以上、娘に同じ思いをさせたくない。介護の協力も、今後の付き合いも、いったん距離を置かせてほしい」
義父は最初、「次男のくせに」と言いかけた。夫は「それが理由です」と遮って、電話を切った。
義父が初めて「困った」顔をした日
距離を置いてから数ヶ月後、義兄から連絡が来た。義父の通院が滞っていて、どうにかならないかという内容だった。
夫は「うちは動けない」と答えた。義兄は「でもお前のほうが近いだろう」と食い下がったが、夫は「距離の問題じゃない」と繰り返すだけだった。
後から聞いた話では、義父はそのとき初めて「次男に頼めなくなった」ことの意味を理解したらしい。長男嫁に泣きついたとも聞いた。
でも私たちは、その顛末を直接見ていない。見に行かなかった。
娘は今、以前より表情が明るい。「じいじのこと、もういいや」と言っていた。その言葉が、少し切なくて、でも少し安心した。
縁を切って、見えてきたもの
絶縁、という言葉は重い。でも私たちがしたのは「これ以上、子どもを傷つける人には会わない」という選択だった。
義父が変わることを期待するのは、もう諦めた。
夫は今も複雑な顔をすることがある。育ててもらった記憶と、ないがしろにされてきた記憶——このふたつの思いが混ざり合っている。でも、それはそう簡単に整理できるものじゃない。
ただ、娘の顔が明るくなったことだけは、間違いなく正解だったと思っている。
さいごに
「えこひいき」は、孫の世代にまで静かに届いてしまう。夫婦で「もうやめよう」と決断するまで、どれだけの時間がかかったか——想像するだけで胸が痛くなります。同じような理不尽に、ずっと耐えてきた方もいるのではないでしょうか。あなたなら、どのタイミングで線を引きますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント