向かいの家の出来事なのに、なぜか週に一度はため息をついてしまう。
当事者でも親族でもないのに、窓の外の光景が頭から離れないのだ。
内孫の日だけ、朝から家が「輝いて」見える
向かいに住む70代のおばあさんは、ひとりで暮らしている。
息子夫婦の家族(いわゆる内孫)が来る週末は、朝からカーテンが勢いよく開く。
レースのカーテン越しに、テーブルの上に料理が並んでいくのがうっすら見える。玄関先には小さな靴が何足も並んで、笑い声が表まで聞こえてくることもある。
そのときのおばあさんの顔は、本当に生き生きとしていて、思わずこちらまでほっこりするほどだ。
「また玄関で帰った」──外孫の日のルーティン
でも、娘夫婦の子ども(外孫)が来る日は、少し違う。
チャイムの音がして、おばあさんが玄関を開ける。子どもたちの声がする。でも、5分ほどで扉が閉まって、外孫たちはそのまま帰っていく。
一度ではない。何度も、何週も、そういう光景が続く。
「また今日も玄関だったな」と、私は台所の窓から静かにカーテンを戻す。
部外者なのに引っかかる理由、昔の記憶が教えてくれた
誰かに言えるわけでもない。向かいのおばあさんに「なんで外孫は家に上げないんですか」と聞けるはずもないし、娘さん一家と面識もない。
でも、なんとなく想像してしまう。外孫の子どもたちは、玄関で帰ることを「ふつう」だと思っているんだろうか。それとも、うっすら気づいてしまっているんだろうか。
——子どもって、意外と敏感だから。
ここまでモヤモヤするのはなぜだろう、と自分に問いかけてみたら、答えはわりとすぐ出てきた。私自身が、似たような経験をしていたのだ。
祖父母の家に行くと、従姉妹たちはすんなり「おいで」と迎え入れられるのに、私だけなんとなく居心地が悪かった記憶。席の端っこに座らされた感じ。あれは気のせいじゃなかったのかな、と今になって思う。
向かいの外孫の子どもたちを見るたびに、幼い頃の自分が透けて見えてしまう。だから、余計に胸がざわざわするのかもしれない。
こういう話って、なかなかできない。
「他人の家の孫差別が気になって」なんて友人に打ち明けたら、「それ、関係なくない?」で終わりそうだし、実際そのとおりだとも思う。
でも、SNSで検索すると似たような話がたくさん出てくる。祖父母に差をつけられた側の話、内孫外孫の格差に心を痛めた親の話。見えないところで、静かに傷ついている人は多い。
さいごに
当事者でもないのにモヤモヤするのは、きっと自分の中に「同じ痛み」の記憶があるからなのかもしれませんね。
向かいの外孫の子たちに何かしてあげられるわけじゃないけど、せめて「気づいている大人もいるよ」と、窓の外に向かって心の中でつぶやいている。それだけで少し、自分の気持ちが落ち着く気がしている。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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