彼・湊さんの実家が地方で老舗旅館を営んでいると聞いたとき、正直すこし身構えた。
案の定、初めて訪ねた日から、その空気は想像以上だった。
「前の彼女は料亭のお嬢様でしたのよ」
玄関をくぐって挨拶もそこそこ、女将である彼のお母さん——真砂子さんは、さらりとこう言った。
「湊の前のお相手はね、老舗料亭のお嬢様でしたのよ。所作も着物の着こなしも、さすがでしたわ」
初対面でこれ。
さっと横を見ると、湊さんが困ったように視線を逸らしていた。
私はその日、ニコニコしながらお茶を飲んで、なんとかその場をやり過ごした。
でも——これが始まりに過ぎなかった。
「月とスッポンでしょう(笑)」と笑われた日
それから半年、旅館に招かれると「前の彼女は」が繰り返された。
「前の彼女はお点前が美しかったのよ」
「彼女のごご両親は格のある方々でしたわ」
そしてある夕食の席で、真砂子さんはとうとうこう言った。
「あなたと比べたら、月とスッポンでしょう(笑)。悪く思わないでね」
笑いながら言えば傷つかないとでも思っているのだろうか。
——そうじゃない、傷つけているとわかっていて、あえて笑っているのだと気づいた。
湊さんは「母さん、やめてよ」と小声で言うだけ。
その場の空気を壊したくない気持ちはわかる。でも、私の心はすっかり疲弊していた。
旅館の経営危機を、打ち明けてきた夜
きっかけは、季節が変わった秋の訪問だった。
その日、真砂子さんは珍しく険しい顔で席に着いた。
聞けば、近隣に新しいホテルが開業してから予約が激減し、旅館の経営が苦しくなっているという。
「このままでは来年の春が……」
珍しく弱音が口をついた。湊さんも表情が曇る。
私は静かに、バッグから名刺入れを取り出した。
「……これ、本当にあなたが?」と目を見開いた女将
「もしお力になれれば…」と、名刺を差し出した。
真砂子さんが受け取り、名刺に目を落とした。
——数秒の沈黙。
名刺には、私の会社名と肩書きが書いてある。
旅館・ホテルの再生を専門とするコンサルティング会社の、プロジェクトマネージャー。
これまで十数軒の宿泊施設の立て直しに関わってきた、それが私の仕事だ。
真砂子さんの顔から、あの余裕の笑みが消えた。
「……これは、本当に、あなたが?」
「はい。旅館の再生が専門です。もしよろしければ、一度詳しくお話しできます」
「お力をお借りできますか…」と頭を下げた女将
しばらく名刺を見つめていた真砂子さんは、やがてゆっくりと顔を上げた。
そして——深々と頭を下げた。
「……お力をお借りできますか」
あの「月とスッポン」の笑顔は、どこにもなかった。
湊さんが目を丸くして私を見ていた。
私は「ぜひ」とだけ答えて、お茶を一口飲んだ。
その後、旅館の現状をヒアリングし、半年かけて集客の仕組みと館内の動線を見直した。
翌シーズン、旅館の予約は少しずつ戻り始めた。
真砂子さんは今も「前の彼女は」とは言わない。
代わりに、こう言うようになった。
「湊、この子を大切にしなさいよ」
さいごに
人を「格」で値踏みする言葉は、言った側が思うより深く刺さるものです。それでも、積み重ねてきたものはいつか自然と伝わる——真砂子さんの変化がそれを教えてくれた気がします。誰かに見くびられて悔しかった経験、あなたにもありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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