義母が入院したと聞いた夜、私は「大変だ」と思った。でも正直に言えば、あの1ヶ月間は私の人生でいちばん心が消耗した時間だった。
「枕の角度が違う、直して」手術当日から始まった嫌み
義母が股関節の手術を受けたのは、昨年の秋のことだ。
全身麻酔を使う大きな手術で、術後は安静が必要だと担当医から説明を受けた。夫は仕事を抜けられないことが多く、自然と私が毎日病院へ通う流れになった。
ところが術後2日目、義母が目を覚ました直後に言った第一声がこれだった。
「枕の角度が違う。もっと高くして。あと、カーテン閉めて。なんでそんなこともわからないの」
——ありがとう、でもなく。大丈夫?でもなく。
その日から嫌みは日課になった。
「お見舞いの品が安い」「来るのが遅い」文句が止まらない日々
翌週、私が手土産に持参したゼリーの詰め合わせを見て、義母はこう言った。
「これ、スーパーで買ってきたやつでしょ。もう少し気の利いたものを持ってきてくれない? お見舞いって気持ちが大事なのよ」
仕事終わりに駆けつけても「来るのが遅い」。土日に早めに行けば「もっとゆっくりしていけばいいのに、そんなに帰りたいの?」と嫌みを言われる。
どちらに転んでも文句が来る。
感謝の言葉は、3週間で一度も聞かなかった。
病室を出るたびに、廊下でしばらく動けなくなった。——私は今、何のためにここに来ているんだろう。
帰宅してから夫に「お義母さんの言い方が少し……」と伝えてみたことがある。
夫は「母さんも不安なんだよ、大目に見てやって」と言った。その言葉がさらに重くのしかかった。
限界を超えた日、夫に「もう行けない」と伝えた
入院から1ヶ月が過ぎたある夜、私は夫の前に座った。
感情を抑えながら、それまでの出来事を静かに話した。
言われた言葉、そのたびに廊下で立ち止まってしまったこと。体が全部覚えていた。
夫はしばらく黙っていた。
「……わかった。俺が行く。無理させてごめん」
その一言で、私の中で何かがほどけた。涙が出た。
翌日から、私の付き添いは完全に止めた。夫が仕事の合間を縫って顔を出す。
どうしても行けない日は、義母には看護師さんに声をかけてもらうよう夫から病院側へ連絡を入れてもらった。
「……謝りたい」義母から夫に電話が来た
付き添いをやめて3日が経ったころ、夫のスマートフォンに義母から電話がかかってきた。
「……○○さん(私の名前)に謝りたい。連れてきてもらえる?」
夫から聞いたとき、正直、驚いた。あの義母が?と思った。
病室に入ると、義母はいつもより小さく見えた。
「毎日来てくれていたのに、嫌なことばかり言ってごめんなさい。怖くて不安で、八つ当たりしていたわ」
声が震えていた。
私は何も言い返さなかった。「来なくなって初めてわかったことがあるなら、それでいいです」とだけ伝えた。
義母は目を伏せてうなずいた。それ以上、言葉はいらなかった。
退院後、義母との距離感が変わった
退院してからの義母は、少しだけ変わった。
以前は当然のように要求してきた家事の手伝いや買い物の代行も、「お願いできるかしら」と聞いてくるようになった。
小さな変化だけど、私にとっては大きかった。
すべてが解決したわけじゃない。これからも摩擦は起きるだろう。でも、あのとき「もう行けない」と夫に伝えたことは、正しかったと思っている。
黙って続けていたら、私は壊れていた。
さいごに
「嫁だから」という重さを背負いながら毎日通い続けた日々——手を引いたことで相手がはじめて気づいた、という結末に胸がじんとした方も多いのではないでしょうか。
限界を声に出すことは、逃げじゃない。
あなたにも、そんな気持ちになったことはありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント