義父が定年退職したのは、私たちが結婚して3年目の春のことだった。
それからというもの、私たちの家庭に少しずつ、でも確実に「外圧」がかかり始めた。
「週末は全部こっちへ来い」命令が届く
最初の電話は夫宛てだった。
「週末は家族全員で実家に来い。それが当然だろう」
義父は元会社役員。現役時代は部下を数十人束ねていたらしく、引退後もその口調は変わらない。提案でも相談でもなく、すべてが「命令形」だった。
最初のうちは月に一度、顔を見せれば義父も満足してくれた。
でも暇を持て余すにつれて頻度が増していく。隔週になり、毎週になり、気づけば「週末はうちへ来るのが当たり前」が既定路線になっていた。
私は内心ぐったりしていたが、夫は「まあまあ、親父も寂しいんだよ」と笑って流すばかり。
——これが何年も続いた。
「習い事もこっちで決める(笑)」干渉が子どもへ及ぶ
義父の干渉は、やがて子どもにも及び始めた。
当時小学3年生だった息子が水泳を習い始めたばかりのころ、義父から突然こんな電話がかかってきた。
「水泳なんてやめさせろ。男の子は剣道だ。道場も私が手配する」
息子は水泳が大好きで、毎週楽しそうに通っていた。それを「やめさせろ」とは——私は耳を疑った。
夫に相談すると「さすがにそれは断るよ」とは言ってくれた。でも義父への返事は「今は続けさせてやりたいんですが……」と最後まで曖昧なまま。
義父は「ふん、甘い」と言い捨てたらしいが、なんとかその場は収まった。
収まっただけで、解決はしていなかった。
義父の圧力は形を変えながら続いた。
「お盆は一週間全員で帰省しろ」「正月は12月30日から来い」「塾は地元の老舗にしろ、私が口を利く」。
夫は毎回「まあまあ」とかわしながら、義父の要求の7割くらいを受け入れていた。
私は疲弊していた。そして——息子にも何か出ていないか、という不安がじわじわと大きくなっていた。
気になって息子の様子を注意深く見ていると、週末の前日になると口数が減ること、義実家から帰った翌日は朝ごはんをほとんど食べないことに気づいた。
カウンセラーが静かに「所見」を読み上げた日
転機は、学校からの一枚のプリントだった。
「最近、お子さんが休み時間に一人でいることが多くなっています。担任より」
私はすぐに面談を申し込んだ。「スクールカウンセラーにも同席してもらいます」と言われ、夫も連れて学校へ向かった。
カウンセラーの先生は穏やかな口調で、息子の様子をひとつひとつ丁寧に話してくれた。そして最後に、こう言った。
「お子さんのお話を聞いていると、週末に自分の気持ちとは関係なく予定が決まってしまうことへのストレスを感じているようです。家庭環境に、お子さんにとって過度な外圧がある可能性があります」
夫の手が、膝の上でぴたりと止まった。
私は何も言わなかった。言わなくても、夫には伝わったはずだ。
夫が義父に電話をかけた、あの夜
帰宅した夫は、しばらく息子の部屋の前で立ち止まっていた。そして夜、リビングのソファに座ると「電話してくる」とだけ言って席を立った。
30分後、戻ってきた夫の顔は見たことのない表情をしていた。
「親父に言った。週末は俺たちで決める。習い事も、帰省の日程も、これからは俺たちが決めること。口出しはしないでくれって」
——やっと。何年越しかの、「やっと」だった。
義父は最初「何を生意気な」と声を荒げたらしい。しかし夫が「子どものカウンセラーに言われたことだ」と伝えると、電話口がしんと静まり返ったという。
自分の言動が、孫に影響を与えていたとは思ってもいなかったのだろう。義父は最後まで謝りはしなかったが、それ以降、命令形の電話はぱったり来なくなった。
息子が「最近、週末が楽しい」と言った
あれから半年が経つ。
週末は家族3人で過ごすことが増えた。息子は水泳を続けていて、先日初めて25メートルを泳ぎ切った。帰り道、「最近、週末が楽しい」とぽつりと言った。
胸に刺さるような一言だった。
今は月に一度、義実家に顔を出している。義父は少し丸くなったような気もするし、単に諦めただけかもしれない。でも食事の場がずっと穏やかになったのは確かだ。
さいごに
夫が動けなかったのは、薄情だったからじゃないと今は思う。「親を傷つけたくない」という気持ちと「家族を守りたい」という気持ちが、長いあいだ綱引きをしていただけで。第三者の言葉が、その綱を解くきっかけになったのかもしれません。
「見えない外圧」は、渦中にいるとなかなか言葉にできないもの。誰かに「それは外圧ですよ」と言ってもらえて、やっと動き出せることって、あるんですよね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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