結婚して7年。「俺も手伝うよ」という夫の言葉を、私は何度カウントしただろう。
その言葉はいつも宙に浮いたまま、実行されたことは一度もなかった。
異変に気づいていながら、見て見ぬふりをしていたのは私自身だ。
でも、ある夜の義実家での集まりで耳にした夫のひと言が、7年分の霧をたった数秒で吹き飛ばした。
「俺も手伝う」は呪文だった
結婚当初から、家事の分担はなんとなく私寄りだった。
夫の健吾は「仕事が忙しいから」「疲れてるから」と繰り返した。私もフルタイムで働いていたけれど、なぜか「家のことは私がやるもの」という空気が、気づけば家の中に充満していた。
子どもが生まれてからはさらにひどくなった。
深夜の授乳も、離乳食の準備も、保育園の送り迎えも、ほぼ私ひとり。健吾が育児に関わるのは、週末にゲームをしながら子守をするときだけ。
「今日は沐浴やってほしい」と頼むと「わかった、あとでね」。そのあとは来ない。「ゴミ出しお願いできる?」と言うと「明日でいいじゃん」。明日も出さない。
——呪文だったんだ、あの言葉は。唱えるだけで、何も動かさない呪文。
「家事が趣味みたいなもの」という一言
転機は、義実家で開かれた親戚の集まりだった。
義母の誕生日を兼ねたその席で、私はキッチンで料理の盛り付けを手伝っていた。リビングから健吾の声が聞こえてきた。
「うちの嫁、家事が趣味みたいなもんだから、全部任せてても全然大丈夫なんですよ。助かってますよ〜」
笑いを交えた、軽い口調だった。親戚たちの「いい奥さんだね」という声も聞こえた。
手が止まった。
趣味。全部任せてても大丈夫。助かってる。
——この人は、私が毎朝5時に起きていることを知っている。子どもが熱を出したとき、有給を使って看病したのが私だと知っている。それを「趣味」と呼んでいる。
感情が爆発するかと思ったけれど、不思議なくらい静かだった。むしろすうっと、冷えていくような感覚があった。
荷造りをしている間も、気づかない人だった
その夜、帰宅した私は健吾に何も言わなかった。責めなかった。怒鳴りもしなかった。
ただ、子どもが寝てから、クローゼットの奥にしまっていたキャリーバッグを静かに引っ張り出した。
まず自分と子どもの衣類を詰めた。次に通帳と保険証のコピー、子どもの母子手帳。
実は、このときのために少しずつ準備を進めていた。
数週間前から職場の上司に「少し事情があって」と相談を始めていたし、自分名義の口座にもコツコツ積み立ててきた。その残高をこの夜、静かに確認した。
実家の母には、その日の夜に電話をした。「帰ってもいい?」と聞くと、「当たり前でしょ」と即答してくれた。
健吾はリビングでビールを飲みながら、スマホを眺めていた。
——私が荷造りをしている間も、何も気づかない人だった。それが、答えだった。
「なんで急に」──7年分を一枚の紙に込めた
翌朝、子どもを保育園に送り出してから、私は健吾に向き合った。
「別居したい。離婚も視野に入れてる」
「え……なんで急に?」
急に。——7年間、急にじゃない。
感情的に理由を並べる気にはなれなかった。準備していた一枚の紙を、テーブルの上に置いた。そこには、この7年間の家事・育児の負担記録が淡々と並んでいた。時間、頻度、誰がやったか。数字と事実だけ。
健吾はしばらく黙ってその紙を見ていた。「俺だって……」と言いかけて、止まった。反論できなかったのだろう。数字は嘘をつかない。
「弁護士には相談済みです」とだけ伝えて、その日の夕方、子どもと一緒に実家へ向かった。
半年後、私が取り戻したもの
実家に戻って半年が経った。離婚の手続きは現在進行中で、親権は私が持つことになりそうだ。
毎朝、子どもと一緒に朝ごはんを食べる。洗い物は自分のペースでやる。誰かに「手伝うよ」と言われて空振りする経験が、もうない。
あの義実家の集まりの夜、怒りに任せて泣き叫んでいたら、きっと今とは違う展開になっていた。静かに、準備してから動いた。それだけのことだったけれど、それが私には一番合っていた。
さいごに
「手伝うよ」という言葉が積み重なって何も変わらないとき、いつか静かに何かが決定的に壊れる——そんな感覚、少しだけ覚えがある方もいるかもしれませんね。
感情より先に準備を整えることが、自分を一番守ってくれることもある。あなたがずっと感じてきたモヤモヤは、きっとおかしくなんかない。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント