誰かに押しつけられたわけではない。でも、気づけば同じ人ばかりが同じことをやっている。
事務のパートとして働いて8年。私は長いあいだ、それを「自分が気づいたんだから、やればいい」と思ってきた。
けれど最近、その積み重ねが少しずつ負担になっていることに気づいた。
「幹事、誰かやる?」の沈黙に耐えられない
部署の歓送迎会や食事会の話が出ると、最後に決まって残るのが幹事だった。
「で、誰がやる?」
誰かがそう言ったあと、数秒の沈黙が続く。
その空気に耐えきれず、私はいつも「じゃあ、やりますね」と口にしてしまう。
店を探し、参加人数を確認し、予約を取り、当日の連絡をする。もちろん、自分で手を挙げたのだから、誰かに無理やり押しつけられたわけではない。
それでも、気づけばここ一年ほどで何度も私が担当していた。
あるとき、「またお願いしていい?」と自然に言われて、初めて引っかかった。
最初は自分から手を挙げていたはずなのに、いつの間にか「やってくれる人」になっていた。
「そろそろなくなります」も、いつも私
コピー用紙や文房具、共有スペースで使う消耗品の発注は、正社員の担当者が行っている。
でも、「そろそろなくなりそう」と最初に気づいて声をかけるのは、たいてい私だった。
「コピー用紙、あと一束です」
「この備品、もう在庫ないみたいです」
そう伝えると、「ありがとう、助かる」と言ってもらえる。
感謝されれば、悪い気はしない。
ただ、ある日ふと思った。
もし私が気づかなかったら、誰が確認するのだろう。
発注する人は決まっているのに、在庫を見る人は決まっていない。その曖昧な部分を、私はずっと自分の仕事のように引き受けていた。
「気づいた人がやればいい」という仕組みは、結局いつも気づく人に仕事が集まるのかもしれない。
有給を取るだけなのに、一言多くなる
有給休暇についても、似たところがあった。
正社員の同僚が、「来月のこの日、有給取ります」と予定を共有しているのを見る。
私にも有給休暇はある。それなのに、自分が申請するときは、
「もし忙しければ別の日でも大丈夫です」
「ご迷惑にならなければ、この日に取りたいんですが」
と、つい言葉を足してしまう。
誰かに「パートなんだから休むな」と言われたことはない。
申請を断られたこともほとんどない。
それなのに私は、勤務時間が短いことや、自分が正社員ではないことを理由に、どこかで「さらに休むのは申し訳ない」と思っていた。
ここだけは、職場から押しつけられたものではなく、自分自身が作っていた遠慮なのだと思う。
「これって、いつもあなたがやるんですか?」
先月、新しく入った同僚と休憩時間に話していたときのことだった。
その人が何気なく聞いた。
「この前の食事会も、幹事やってましたよね」
「うん。なんとなく毎回そうなっちゃって」
そう答えると、不思議そうな顔をされた。
「これって、いつもあなたがやることになってるんですか?」
「いや、別に決まってないよ」
自分で答えてから、少し止まった。
決まっていない。
それなのに、いつの間にか私がやることになっている。
備品の残りを確認することもそうだった。
誰かに正式に頼まれたわけではない。担当になったわけでもない。でも私が先に気づき、先に動き続けた結果、周囲にとっても私自身にとっても、それが「いつものこと」になっていた。
同僚は、「じゃあ、次はほかの人でもいいですよね」と言った。
本当に、その通りだった。
次の沈黙では、すぐに手を挙げなかった
その数週間後、次の食事会の話が出た。
「幹事、どうする?」
また、あの沈黙が来た。
いつもの私なら、数秒も待たずに「やります」と言っていたと思う。
でも、その日は黙っていた。
少し気まずかった。
誰かが私を見るような気もした。
それでも、すぐには手を挙げなかった。
しばらくして、一人の社員が「前回やってもらったし、今回は自分がやりますよ」と言った。
それだけだった。
誰も困らなかった。
会議が止まることもなかった。
私は拍子抜けした。
私が手を挙げなければ回らないと思っていたのは、もしかすると私自身だったのかもしれない。
「気づいたら全部やる」をやめてみる
それから、少しだけ行動を変えた。
備品が減っていることに気づいても、毎回すぐ自分から確認するのではなく、担当者が管理できるよう在庫の確認方法を決められないか相談した。
有給休暇を申請するときも、「忙しければ変えます」を最初から付けるのをやめた。
「この日に有給を取ります。必要な引き継ぎは前日までにしておきます」
そう伝えてみた。
特に何も起きなかった。
「了解です」と返ってきただけだった。
8年間続けてきた癖が、一度ですべてなくなったわけではない。
今でも沈黙が続くと手を挙げたくなるし、何か足りないものを見つければ反射的に動きそうになる。
でも最近は、一度だけ考える。
「これは、本当に私がやることだろうか」
助けたいときに手を貸すことと、誰も担当していない仕事をいつも同じ人が拾い続けることは、少し違う。
その区別をつけるだけで、前より肩の力が抜けるようになった。
さいごに
誰かの悪意がなくても、「いつも気づく人」「いつも引き受ける人」に、小さな仕事が集まっていくことがあります。
最初は自分からやったことでも、それが続けば周囲にとって「その人がやるもの」になってしまうこともあります。
全部を断る必要はなくても、「今回は誰がやりますか?」と一度立ち止まるだけで、役割の偏りが見えてくるかもしれません。
職場で「なぜかいつも自分がやっていること」、あなたにもありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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