引っ越してきて一年が経つ。
向かいのご夫婦はとても感じがよくて、特に奥さんとはゴミ出しのたびに少し立ち話をするほど仲良くなった。
だからこそ、私が知っていることを、どうしても口にできないでいる。
最初は「気のせいかな」と思っていた
向かいのご主人は、地域のお祭りや子ども会にも積極的に顔を出す、いわゆる”地域のいいパパ”だ。
近所での評判もいい。
でも引っ越して数ヶ月が経ったころ、ふとしたことに気がついた。
週末の朝、ご主人が私服でそっと家を出ていく。奥さんや子どもたちを置いたまま。
「仕事かな」と思った。でも、向かいの奥さんから「今日も主人、仕事なんですよ〜。週末なのに大変で」と笑いながら話してくれた日の夕方、私は駅前のカフェでそのご主人を見かけた。
隣には、見覚えのない若い女性がいた。
「偶然」が重なりすぎる
一度ならまだしも、似たような場面に何度か出くわしてしまった。
スーパーの駐車場でご主人の車が停まっているのに気づいたとき、助手席に女性がいた。
公園の近くを通りかかったとき、ベンチで並んで座っているご主人を遠目に見た。前と同じ女性だったかもしれないし、別の人だったかもしれない。
正直、確かめる気にもなれなかった。
「仕事」と聞いていたのに、という事実だけが、じわじわと頭に残っていった。
奥さんの笑顔が、いちばん刺さる
問題は、向かいの奥さんがとてもいい人だということだ。
先日も、家庭菜園で採れたというミニトマトをおすそわけしてくれた。「うちの子、食べないんですよね〜。よかったら」と笑って。
その笑顔を見るたびに、胸がチクッとする。
何か言うべきか、とは思う。でも「何を根拠に?」「私の見間違いだったら?」「言ったとして、その後どうなる?」と考え始めると、どんどん足がすくむ。
それに、これは「ご近所付き合い」の範囲を超えた話だ。
もし言って、奥さんが傷ついたとして——向かい合わせに住み続ける気まずさは、確実に残る。
「知らないふり」が正解なのかも、と思いたい
こういうとき、どうするのが正解なのだろう。
友人に話してみたら「関わらないのが一番」とあっさり言われた。別の友人は「もし自分の立場だったら、教えてほしい」と言った。
どちらの意見もわかる。だから余計に、答えが出ない。
今日もゴミ出しで奥さんと顔が合った。「おはようございます」と笑いかけてくれて、私も笑い返した。
ご主人の車はもう、車庫から消えていた。
さいごに
「見てしまった」という事実だけを抱えて、言えないまま日常が続く——そのもどかしさ、想像できてしまう人も多いのではないでしょうか。
近すぎも遠すぎもできないご近所だからこそ、こういうモヤモヤはひとりで抱え込みがち。
あなたなら、同じ立場でどうしますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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