地元企業の交流会。名札をつけて受付を済ませ、配られたパンフをめくる。社長あいさつのページに、年配の男性の名前が載っていた。
そこへ、大学時代の元カノが笑顔で近づいてきた。嬉しい再会の顔なのに、目の奥に張り合いのような感じがある。
「ひさしぶり。今はどこ? まだ営業?」
私は名刺を渡し、「印刷の営業、地元担当だよ」とだけ答えた。
元カノ「社長夫人になるかも♡」
彼女は私の名刺を指でつまみ、角を見ながら言う。
「へぇ、安定はしてるのね。私? 私はもうすぐ社長夫人になるかも♡」
「社長夫人?」
「そう。地元で一番勢いある会社の彼と付き合ってるの。次の春にはプロポーズかなって」
軽口だと思って笑って流すと、彼女は続けた。
「あなたは平社員でしょ? 決裁とか持ってないよね。私の彼は判断が早いから、話も速いの」
言葉の端々に、あの頃と同じ優越感が顔を出す。私はパンフの社長名を思い出しながら、飲み物のカップを持ち替えた。
元カノ「彼、社長で独身だよ?」
「どこの会社?」と聞くと、彼女は胸を張る。
「〇〇産業。彼、社長で独身だよ? びっくりした?」
私はパンフのページを示した。
「ここの社長、パンフだとこの方の名前だけど」
「あぁ、それは古い情報。実際の経営は彼が担ってるの。肩書きはもうすぐ変わるって」
言い切る調子に、私はそれ以上は触れず、会場のテーブルに視線を移した。さっき名刺交換をした年配の男性が、すぐ後ろでグラスを持っている。パンフに載っていた顔と同じに見える。
隣の男性「その名前、うちの長男です」
その男性が、私と元カノの会話に穏やかに割って入った。
「どちらの会社のお話かな」
彼女は待ってましたとばかりに会社名と、彼氏のフルネームをはっきり口にした。
男性は一度うなずき、名刺を差し出す。
「私は〇〇産業の創業者です。社長は私ですし、いま名前の出た者は私の長男です。長男には妻も子どももいます。今日は家で子どもと過ごしていますよ」
手元のグラスを置いた彼女の指が、震えていた。
「え、でも…本人が…」
男性は声を荒げないまま、短く続けた。
「ここは仕事の場です。うちの社員に関わる個人的な話は、持ち込まないでください。こちらでも確認します」
私は会釈し、「失礼しました」とだけ添えた。元カノは「勘違いがあって」と言いかけたが、言葉は途切れた。
「この話は終わりにしましょう」
彼女は私の袖をつまもうとして、思い直したように手を引いた。
「ねぇ、あなたも知らんぷりしないでしょ。私、ちゃんと聞いてるから」
男性は私に向き直り、「先ほどは名刺をありがとうございました」と言い、もう一度だけ彼女に視線をやった。
「この話は終わりにしましょう」
それで話は終わった。彼女は人混みの方へ歩き、私は別のテーブルで予定どおり数社と打ち合わせをした。
「申し訳ありません」の二通
翌日、交流会で渡した私の名刺に記載したアドレス宛に、〇〇産業の代表メールから連絡が来た。差出人は昨日の男性だった。
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。長男には事実確認のうえ注意しました。仕事の話はぜひ改めて」
夕方には、長男本人の名前で短いメールも届いた。
「私は社長になる予定もないのに、そう受け取られる話をしていました。既婚であることも曖昧にしていました。妻にも事情を話し、関係者へ誤解のないよう伝えます」
元カノからは、「本人の説明を信じていた。あなたに見栄を張るような言い方をしてごめん。もう彼とは連絡を取らない」とメッセージが来た。私は「仕事の場では、確定していない話を持ち出さない方がいいよ」とだけ返し、その後の連絡は控えた。
交流会でつながった会社から、小ロットの急ぎ案件を任された。紙を選び、色校を詰め、納期どおりに納めた。やることは目の前にいくらでもある。
さいごに
肩書を自慢や比較の材料にすると、事実が違ったときだけでなく、日頃の信頼も損ないます。誰かと比べたくなったとき、あなたは何を基準に自分の仕事や生活へ意識を戻しますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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