バスの中で、知っている人の「秘密」を見てしまったことがある。
声もかけられず、ただ知らないふりをして目的地で降りた——あの日のモヤモヤが、今でもたまに頭をよぎる。
「あれ、Kさんだ」と気づいた瞬間
その日は夕方の混んだ路線バスで、たまたま空いた隣の席に座ったのが同じ地域に住む知人のKさんだった。
40代で、子どもが同じ習い事に通っていた縁で顔見知りになった女性。
悪い印象はなかったし、会えば普通に挨拶する間柄だ。
でも彼女は私に気づいていなかった。
イヤホンをして、スマホの画面を熱心にスクロールしている。
見えてしまった画面の「内容」
隣との距離が近く、見ようと思っていなくても自然と目に入ってしまった。
ピンク色のハート絵文字。
「今夜、会える?」というメッセージ。
そして相手のアイコン名——誰でも知っている、Kさんの夫ではない男性の名前だった。
——あ、これは、見てはいけないやつだ。
一瞬で理解して、視線を窓の外に向けた。
でも「見てしまった」という事実は消えない。
声をかけることも、かけないことも、どちらも怖かった
Kさんは数個先の停留所で降りた。
私に気づかないまま、小走りでバスを出ていった。
——声、かけるべきだったのかな。
でも、かけてどうする?「さっきの画面、見えちゃいました」なんて言える?
言えるわけがない。
かといって何事もなかったように「あ、Kさん!」と声をかけるのも、なんだか後ろめたい気がして。
結局、私は何もできなかった。
降りてからもずっと引きずった
自分の目的地で降りた後も、頭の中がざわざわしていた。
Kさんの家庭のことが心配、というよりは——
「自分が知ってしまったことで、何かが変わるのだろうか」
という、どうしようもない問いが浮かんで消えない。
私がどうこうできる話でもない。
でも「見なかったことにする」には、あまりにもはっきりと見えてしまっていてできなかった。
そのモヤモヤを抱えたまま帰り道を歩きながら、気づいたことが一つある。
公共の場にいる自分の画面は、誰かに見られているかもしれない。
Kさんを責めたいわけじゃない。
ただ、あの日以来、私は電車やバスでスマホを開くとき、少しだけ画面を傾けるようになった。
誰かに知られたくないことは、人目のある場所では開かない——当たり前のことなのに、つい忘れてしまうんだよなあ、と。
さいごに
知らなければよかった、でも知ってしまった。そんなモヤモヤって、誰にでも一度はあるんじゃないでしょうか。責めることも、見て見ぬふりも、どちらも簡単じゃない。あなたも、似たような経験がありますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。



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