引っ越してきたその日から、あの人の「王国」に踏み込んでしまったらしい。
隣の棟に住む自治会長・堂島さん(仮名)は、私が段ボールをゴミ捨て場に運ぼうとしていた時に声をかけてきて、「ここのルールは私が全部決めているから」と、まるで宣言するように言い放った。
「素人はいちいち口を出さないでください」
堂島さん、60代。定年後から自治会長を続けていて、この団地では「実力者」として通っているらしかった。
引っ越し初日から渡されたのは、手書きのA4用紙2枚。ゴミの出し方、駐輪場の使い方、廊下の使用ルール——どれも市の公式ガイドラインとは微妙にズレていた。
「これ、市のガイドラインとちょっと違いますよね?」と聞いてみると、堂島さんは鼻で笑った。
「市のガイドライン? ここは私が管理しているんです。素人がいちいち口を出さないでください」
——素人。
初対面の相手に言う言葉じゃない、と思いながら、私はその日は黙って受け取った。
ルールはどんどん「盛られて」いく
それから数ヶ月、堂島さんの「独自ルール」はじわじわ増えていった。
「ゴミ袋は透明でないとダメ」「自転車は必ず南側に」「回覧板は翌日の朝9時までに次の家へ」——根拠を聞いても「私が決めたから」の一点張りだ。
一度、高齢のお隣の田中さん(仮名)が体調を崩して回覧板を翌日昼に回したとき、堂島さんは廊下で大きな声で注意していた。田中さんが小さくなって謝る姿を見て、私の中で何かがじわりと固まった。
——これは、おかしい。
でも、私はまだ「新参者」だ。感情で動いても意味がない。
そう思いながら、私はある人の顔を思い出していた。10年以上前に一緒に働いた同僚で、確か今は市役所に勤めていると聞いていた吉川さん(仮名)のことを。
「市の職員が来る」集会に出席した
秋になって、自治会の年に一度の全体集会の案内が回ってきた。
今年は特別で、市の担当部署から職員が来て「ゴミ収集ルールの説明会」を兼ねるという。堂島さんはその告知文に「市の方針を地域に合わせてご説明します」と一言添えていた。
——地域に合わせて、か。
自分のルールを「市のお墨付き」に見せようとしているのかもしれない。そう思いながら、私は集会に出席した。
会場は集会室。住民が20人ほど集まった中、堂島さんはいつものように上座に座り、腕を組んでいた。
そして、後から入ってきた市の職員の顔を見た瞬間——私は思わず声が出そうになった。
「……吉川さん?」
向こうも気づいた。
「あれ、○○さん(私の名前)! 久しぶり! こっちに引っ越してたんですね!」
吉川さんは、私が10年以上前に働いていた職場の同僚だ。今は市の環境政策課の課長を務めている。
「そのルール、市とは異なります」
吉川さんは挨拶もそこそこに、資料を広げた。
「今日は市の正式なゴミ収集ルールについて、改めてご説明します。地域によって”独自ルール”が運用されているケースが報告されているのですが、今回はその整理も目的のひとつです」
堂島さんの眉がぴくりと動いた。
吉川さんはスクリーンに市の公式ガイドラインを映しながら、淡々と続けた。「ゴミ袋の色は透明か半透明でお願いしています」「駐輪場の割り当てルールは管理組合の規約に基づく必要があります」「回覧板の時間指定は任意であり、体調等の事情がある場合は柔軟に対応することが推奨されます」——。
堂島さんが「それは地域の自主ルールであって……」と口を開いた。
吉川さんはにこやかに、でも静かに返した。
「自主ルールが市のガイドラインと矛盾する場合、住民の皆さんにはガイドラインが優先されることをお伝えする義務があります。実は以前から複数の住民の方からご相談をいただいていまして」
会場がざわついた。
堂島さんは黙った。
会長の「王国」が静かに終わった日
集会後、吉川さんと少し話した。「相談が来てたって本当?」と聞くと、「うん、匿名で何件か。今日の説明で整理できたと思う」と教えてくれた。
田中さんが私の隣に来て、小声で「よかったです」とつぶやいた。
その後、堂島さんの「独自ルール」のプリントが配布されることはなくなった。
自治会の集まりで顔を合わせても、以前のような高圧的な態度はない。ただ静かに、少し遠くに座っている。
あの日、集会室で吉川さんと目が合った瞬間のことを、今でも思い出す。
あのとき私は何もしていない。ただ、おかしいと思いながらも感情的にならず、正しいところを見ていた——それだけだったのに、あの会長の顔が青くなっていくのが、はっきりと見えた。
さいごに
「俺がルールだ」とばかりに振る舞う人は、どのコミュニティにもひょっこり現れる。新参者ほど黙って飲み込んできた理不尽が、ふとしたきっかけでひっくり返る瞬間——なんとも胸がすく話ですよね。あなたの地域にも、似たようなモヤモヤ、ありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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