仕入れ担当になって三年。取引先との商談は日常業務のひとつで、特別苦手ではなかった。
でも、あの営業担当だけは違った——訪問のたびに、じわじわと何かが削られていく感覚があった。
「女性に数字の話をしても(笑)」が口癖だった
相手は取引先の営業担当(40代男性)だ。
最初は軽い違和感だった。
資料を広げると「まあ、細かい話はわからなくていいですよ」と笑い、こちらが条件交渉に入ると「女性担当者に数字の話をしても(笑)、という感じですよねえ」と、まるで雑談のように言い放つ。
——は?
でも会議室には私ひとり。その場で声を荒げるのも違う気がして、曖昧に笑ってやり過ごした。最初の一回は。
上司に相談したら「取引が大事だから」
二回、三回と訪問を重ねるうち、発言はどんどん具体的になっていった。
「御社みたいな規模で、うちの最上位プランは正直オーバースペックですよね」「意思決定って、結局は上の男性の方がされるんでしょう? そちらに直接お話ししてもいいですか」。
さすがに限界を感じて、上司の課長に話した。
「それはちょっと嫌な思いをしたね」と言いながら、課長の次の言葉は「でもあちらは主要取引先だから、波風立てるのはねえ……うまくやってほしい」だった。
うまく、って何?
会社に守ってもらえないなら、自分で記録を残すしかない——そう決めた瞬間だった。
ICレコーダーを、バッグに忍ばせた
翌月の定例商談から、私は準備を始めた。
バッグの内ポケットに小型のICレコーダーを入れ、商談前にそっとボタンを押す。手帳には発言内容・日時・場所・状況を細かく書き留める。
もちろん、できれば使いたくなかった。でも相手は期待を裏切らなかった(最悪な意味で)。
「うちのサービス、御社の経理の”おねえさん”には難しいかもしれませんけど(笑)」「正直、担当が女性だとこちらも気を遣いますよ、ははは」。
録音されているとは露ほども思っていないのだろう。声はいつも通り明るく、軽かった。私はメモを取りながら、ただ静かにうなずいた。
コンプライアンス窓口の扉を、静かに開けた
約四ヶ月。手帳は六回分の商談記録で埋まり、録音データは七ファイルになっていた。
社内のコンプライアンス相談窓口の存在は前から知っていたが、使うのは初めてだった。担当者にアポを取り、手帳のコピーと録音データをまとめたUSBメモリを持参した。
窓口担当の方は静かに資料を確認し、「これは明確なハラスメントに該当します。対応を進めます」と言った。
その一言で、ようやく肩の力が抜けた気がした。
取引先から「謝罪文」と「担当変更通知」が届いた
コンプライアンス担当と上長が連名で取引先に連絡を入れてから、二週間後のことだった。
会社宛てに、取引先の管理職名義で正式な謝罪文が届いた。そして別の封筒で、担当者変更の通知。あの営業担当の名前はそこになく、代わりに新しい担当者の名刺が同封されていた。
課長は「そこまで動いていたとは知らなかった」と少しばつが悪そうだった。私は「報告はしていましたよ」とだけ返した。
それからの商談が、こんなに楽だとは
新しい担当者との打ち合わせは、拍子抜けするほど普通だった。
数字の話をすれば数字で返ってくる。条件交渉でも意見をちゃんと聞いてもらえる。
——そうか、これが普通の商談なんだ、と改めて気づいた。
あの営業担当がどうなったかは聞いていない。知りたいとも思わなかった。ただ、あの重たい空気の商談室に二度と呼ばれなくていいことが、ひたすらうれしかった。
さいごに
声を上げたくても「取引が大事」という空気に押しつぶされる経験、きっと私だけじゃないと思います。そんなとき、感情をぶつける前に記録を積み重ねることが、いちばん強い言葉になるのかもしれませんね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。



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