義父がデイサービスに通い始めて半年ほどたったころ。ある夕方、台所で湯呑みを洗っている私に、義父が声を落として言った。
「ちょっと、言いにくいんだけどね」
——続きが聞き取れないくらい、小さな声だった。
「あの席が落ち着く」と義父
義父が気に入っているのは、共用ラウンジの南向きの窓際にあるテーブル席。朝の光が差して、小さな庭がよく見える。
「あそこだと、来てよかったって思えるんだ」
通い始めの頃から、そう話していた。
ところが、ここ数か月はいつも誰かのバッグや上着が先に置かれていて、義父は別の席に座っていた。
置き主は義姉。夫の姉で五十代後半。施設でボランティアをしていて、休憩時間にはラウンジを使うこともある。スタッフさんとも顔なじみで、「私、ここだとちょっと顔が利くの」と得意げに言うことがある。
義父は私にだけ「窓際が好きなんだ」と打ち明けたけれど、当の義姉の前では言えずにいた。
義姉「私の席だけど?」の一言
見かねて、私は義姉に切り出した。
「お義父さん、窓際が好きみたいで。荷物を置いてあると座れないことがあるみたい」
義姉は肩をすくめた。
「え、でも私いつも使ってる席だけど? お父さんも別の席でいいって言ってたよ」
違う。言えなかっただけだ。
「好きって話してたよ」と食い下がると、「そんな細かいこと気にするの? 施設の人とも仲いいし、何かあれば私が話つけるから大丈夫」と遮られた。
私はうまく言葉が出なかった。
施設に相談「皆で話しましょう」
家に戻って、デイサービスの生活相談員さんに電話をした。
「義父が窓際を気に入っているんですが、いつも義姉の荷物が置かれていて座れないことがあるみたいなんです。義父も強く言えなくて」
「それは一度、お気持ちを確認したほうがよさそうですね。共用スペースの使い方にも関わりますし、皆さんで話す場をつくりましょう」
誰かを責めるためではなく、それぞれが気持ちよく過ごせるように話す時間にしましょう、と説明してくれた。
数日後、ラウンジの一角で、義父・義姉・私と生活相談員さんで向き合った。
義姉は腕を組み、「何かあったの?」という表情をしていた。
生活相談員さんが口を開いた。
「ここでの過ごし方について、まず〇〇さんのお気持ちを聞かせてください」
「窓の光が好き」義父のひと言
生活相談員さんが義父に視線を向けた。
「窓際がお好きなんですって?」
義父は手元の湯呑みをいじりながら、少し間を置いて言った。
「……窓の光が好きなんだよ。あそこに座ると、庭が見えてね。ここに来てよかったって思える」
義姉が顔を上げた。
「そんなふうに思ってたの? ごめん、全然気づかなかった」
声が小さくなった。
荷物での場所取りは終わりに
生活相談員さんが続けた。
「ラウンジは皆さんで使う場所なので、荷物だけを置いて席を確保するのはやめることにしましょう。窓際が空いているときは、〇〇さんも遠慮せず使ってくださいね」
義姉は頷いた。
「うん、わかった。私も荷物は置かない」
鞄の肩紐を握り直した義姉の手が、少しゆるんだ。
話し合いはそれで終わった。
義父は「ありがとう」と小さく言い、私の方を見て笑った。
翌週、並んで窓を見ていた
次に訪ねた日、窓際のテーブルで義父と義姉が並んで座っていた。
義姉が「庭の梅、咲き始めたね」と指さし、義父が「ほんとだ」と笑う。バッグも上着も、席には置かれていない。
「座り心地は?」と私がたずねると、義父は椅子に背を預けて「いいよ」と一言。
帰り際、義姉が私に小声で言った。
「この席、気持ちいいね。お父さんが好きなの、ちょっとわかった」
義父が好きな場所で過ごせるようになって、ようやく肩の力が抜けた気がした。
さいごに
小さな望みでも、相手との関係によっては言い出せないことがあります。そんなとき、誰かを責めるのではなく、本人が気持ちを口にできる場をつくることで解決することもあるのかもしれません。
家族介護の場で、あなたなら誰のどんな「好き」を大切にしたいですか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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