親族の集まりは年に数回だけのはずなのに、行くたびに体が先に疲れを思い出します。
義実家の座卓を囲むと、男性陣はテレビの前でお酒を注ぎ合い、女性陣は台所と座卓を往復するのが「いつもの流れ」でした。
私は36歳の主婦で、結婚してからその流れに合わせてきましたが、配膳が始まるタイミングになると座る暇がなく、小さな苛立ちが積み重なっていました。
飲み込んでいた「いつもの流れ」
その日は、義母と義姉と私の3人で台所に立っていました。煮物、揚げ物、刺身の皿、ご飯と汁物を順番に座卓へ運びます。
座卓の周りでは子どもたちが先に箸を伸ばしそうになり、私は「熱いから待ってね」と声をかけながら、空いた手で取り皿を配りました。
一方で、義父と夫は座卓の上を少し詰めるでもなく、当然のように座ったままでした。義父は昔から、必要なものがあるとまず台所側の女性に声をかける人で、私も反射的に動いてしまう癖がついていました。
私も「ここで私が止めたら場が固くなるかもしれません」と思い、笑って動き続けていましたが、心の中では「私も一度くらい座りたい」と何度もつぶやいていました。
配膳の手が増えない理由が口に出た
最後の大皿を運ぶころ、私は台所から座卓へ向かう途中で、義父に「醤油が見当たらない」と呼び止められました。私は片手に皿を持ったまま棚を開けて探し、醤油を渡しました。
その直後、義父が「皿がまだ来ないな」と少し大きめの声を出しました。周りの男性陣がこちらを見る中、私は義母に「あと汁物だけです」と目で合図を送り、もう一度台所へ戻ろうとしました。
そのとき、義父が私と義姉の動きを見て、ため息まじりに言いました。
「もっと早く準備できるだろ」
男性陣は誰も手を貸さないまま、女性陣にだけ「早くしろ」と要求する空気だけが強まり、私はそう言われたように感じました。皿を持つ手が一瞬止まり、顔が熱くなりました。
短く確認して、役割を置き直しました
ここで言い返したら角が立つかもしれませんが、黙って動いてしまうと、この前提がまた更新されてしまいます。
以前も、手伝いを頼もうとすると義父が「いいから座っていろ」と夫に言い、結局こちらだけが動く形に戻ったことがありました。だからこそ今回は、責める言葉ではなく、作業の確認だけで切り替えると決めました。
私は座卓の端に皿を置き、義父の方を見て落ち着いた声で言いました。
「早く出したいので、配膳と片付け、誰が何をするか今決めてもいいですか」
場が少し静かになりました。
私は続けて、具体的に割り振りました。
「私とお義母さんで温かい汁物を運びます。お義父さんは座卓のスペースを空けて、取り皿と箸を配ってください。夫はお茶を注いで、手が空いたら片付けの皿を台所までお願いします」
夫は一瞬きょとんとしましたが、私が目を合わせると「わかった」と立ち上がりました。
義父も「……ああ」と言いながら、座卓の上の空き缶や小鉢を端に寄せ始めました。私は胸がどきどきしていましたが、誰かを責めずに役割だけを置き直したことで、言い合いになりにくくなったと感じました。
座卓に戻れた瞬間、空気がほどけました
配膳は目に見えて早く終わりました。
義父が取り皿を配り、夫がお茶を回すだけで、女性陣の往復が減りました。
何より、私が一度座卓に戻れました。
食後の片付けも、夫が率先して皿を運び、義父は新聞を広げる前にコップをまとめてくれました。義父が急に優しくなったわけではありませんが、「もっと早く準備できるだろ」という前提が、その場では通りにくくなりました。
私は座卓で湯のみを両手で包みながら、ようやく呼吸が整いました。
公開の場で一度前提が崩れると、次から同じ言い方をしにくくなるのかもしれません。次の集まりも完璧ではないでしょうが、私は「座る時間を自分で取りにいっていいんだ」と思えるようになりました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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