結婚して8年。夫の口癖は「専業主婦なんだから、それくらいやって当然だろ」だった。
私はその言葉を、ずっと笑顔でやり過ごしてきた——でも、心の中ではある計画を静かに進めていた。
夫「仕事をしてないのに何が不満なの?」
夫は40代の会社員で、収入はそれなりにある。
でも毎月私に渡す生活費は10万円ぽっきり。
食費・日用品・子どもの習い事代……全部そこから出せというのが夫の”ルール”だった。
「家事は仕事じゃない。家で休んでいるのに不満を言うな」
初めてそう言われたとき、言葉が出なかった。
反論しようとすると「じゃあ出て行けば?」と畳み掛けてくる。
言い合いになるたび、私が折れて終わってきた。
家事だけじゃない。親戚への贈り物の手配、子どもの学校行事の段取り、夫の実家への連絡……「お前がやれ」と言われたことはすべて私の仕事になった。
「俺は外で稼いでいる。家のことはお前の役割だ」が、夫の世界の完全なる正義だった。
「ありがとう」の一言もなく、夫はさらに図に乗った
2年前、ふとしたきっかけでネットに流れていた「家事の市場単価」という記事を目にした。
料理・掃除・洗濯・育児……それぞれに相場がある。
家事代行サービスの時給換算で見ると、専業主婦が担う労働は月に相当な額になる——。
——そうか。記録しよう。
その日から私は、家事ひとつひとつにかかった時間と内容をノートに書き始めた。
夕食の調理:1時間
小学生の子どもの学校行事の段取り:2時間
洗濯・乾燥・畳み:45分
学校のプリント整理:20分
義母への季節のご挨拶品の手配:1時間半……
記録を続けるうちに、夫の態度はむしろ悪化していった。
「夕飯が遅い」「部屋が片付いていない」
——感謝の言葉はゼロで、注文だけが増えていった。私は黙って、そのぶんも記録に加えた。
最初は小さなノート1冊だった。
それがやがてスプレッドシートに移り、2年後には家事の種類・所要時間・月間稼働時間・家事代行サービスの市場単価を掛け合わせた”2年分の家事代金ファイル”に育っていた。
「離婚したいなら勝手にすれば」が引き金になった
転機は、夫が酔って帰ってきた夜だった。
些細な言い合いの末、夫は言い放った。
「離婚したいなら勝手にすれば。お前が困るだけだろ」
——そうかもしれない。でも、もう決めた。
翌朝、私は一人で弁護士事務所に電話を入れた。
「離婚調停の相談をしたいのですが」
弁護士に2年分のファイルを見せると、先生は少し目を細めて言った。「これ、調停に持っていきましょう」。
調停室で広げた”2年分の記録”
数か月後、離婚調停の席が設けられた。
夫の隣には、夫が急いで依頼したという弁護士が座っていた。
私の弁護士がテーブルにファイルを置いた瞬間、調停員が「こちらを確認させてください」と手を伸ばした。
ファイルには2年間の記録が細かく並んでいた。
月平均の家事労働時間:約230時間。家事代行サービスの市場単価を基準にした月換算対価:約28万円。2年間の総額試算:約670万円——。
さらに夫が管理していた家計の実態として、私が受け取った生活費の総額と実際の家計支出の差額も添付してあった。レシートと通帳のコピー、全部揃えていた。
夫が何か言おうとした。
でもそのとき、夫側の弁護士が静かに夫の袖を引いた。
——そのしぐさが、すべてを物語っていた。
夫が「示談で」と言い出した日
その後の調停は、拍子抜けするほどあっさり進んだ。
当初「1円も払わない」と息巻いていた夫は、3回目の調停で急に「早く解決したい」と言い始めた。
財産分与・養育費・慰謝料……弁護士同士の交渉は淡々と進み、最終的に私が希望していた条件をほぼ満たす形で合意書が交わされた。
調停室を出た夫の顔を、廊下ですれ違いざまに一度だけ見た。
怒っているわけでも、悲しそうなわけでもなかった。ただ、なんとなく小さく見えた。
私は深呼吸をして、弁護士と一緒に外へ出た。
今は、自分の時間を取り戻している
離婚から半年が経つ。
子どもと二人暮らし、パートも始めた。お金に余裕があるとは言えないが、毎日が不思議と軽い。
夫がいない日常が、こんなに違うものだとは思わなかった。
子どもが「ごはんおいしい」「ありがとう」と言うだけで十分だと気がついた。
さいごに
「やって当然」という言葉は、じわじわと人の自信を削っていきます。でも、日常の積み重ねにはちゃんと価値があって、それは記録すれば数字になる——そう気づいたことが、私にとって最初の一歩でした。
もし今、自分の頑張りを「当たり前」と言われ続けて苦しいなら、あなたの感覚はきっと間違っていないと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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