子どもの習い事の場って、なんとなく「大人も信頼できる人が集まっている」気がしてしまう。でも、そう思い込んでいた私の認識が、ある夕方の駐車場で静かに裏切られた。
「〇〇さんパパがいると安心」と、みんなが言っていた
週末ごとに子どもたちの練習を仕切ってくれる40代のパパさんがいた。コーチ資格はないけれど、場の空気を読むのが上手で、子どもへの声がけも丁寧。他のお母さんたちからも「〇〇さんパパがいると安心だよね」と言われていた。
私も最初は素直にそう思っていた。
我が家は夫が仕事で来られない週末も多く、チームのことで相談できる大人が近くにいるのはありがたかった。連絡グループでも積極的に動いてくれて、保護者みんなの「顔が広いお父さんでもあり、パパコーチ」という立ち位置だった。
駐車場で、目が合ってしまった
ある練習終わりの夕方、忘れ物に気づいて駐車場に戻ったとき——車と車のあいだに、そのパパコーチと、別チームのお母さんが並んでいた。
距離が、近すぎた。
向こうも私に気づいて、一瞬だけ目が合った。私は何も言えず、ただ会釈して足早にその場を離れた。
見間違いかもしれない。深読みしすぎかも。でも、あの「しまった」という顔は、忘れられなかった。
「奥さんに伝えるべき…?」ぐるぐると答えが出なかった
家に帰ってからも、頭の中がぐるぐるしていた。
「奥さんに伝えたほうがいいんじゃないか」「でも私の思い込みだったら?」「仲のいいママ友に相談したら広まるかも」「子どもたちのチームがギスギスしたら……」
何度も頭の中でシミュレーションしては、どれも正解に思えなくて、また振り出しに戻る繰り返し。
——そもそも私、なんでこんなに考えてるんだろう。
ふと、そう思った。
「私がここにいる理由」に立ち返ったとき、答えが出た
私がこの習い事の場にいるのは、子どもの成長を応援するためだ。それだけだ。
パパコーチの私生活を管理する役割も、誰かの夫婦関係の番人になる義務も、私にはない。目撃したのは事実だけど、それを「どうにかしなきゃ」と背負い込む理由は、どこにもなかった。
誰かに言えばすっきりするかもしれない。でも、その「すっきり」は本当に誰かのためになるのか。それとも、ただ自分の心のざわつきを他人に押しつけたいだけなのか。
正直、わからなかった。だから、「関わらない」を選んだ。
パパコーチとは必要な連絡だけ、他の保護者と同じ距離感で接し続けた。特別に警戒もしないし、以前みたいに頼りきりにもしない。ただ、それだけ。
「知ってしまった」ことも、日常のひとつになった
あれから数ヶ月が経つ。チームの雰囲気は変わっていないし、子どもは楽しそうに練習に通っている。
パパコーチは相変わらず場を仕切っていて、お母さんたちの信頼も厚いまま。私だけが、ひとつ余分なものを抱えて立っているような、少し奇妙な感覚がある。
でも、これでよかったんだと思う。知らなければよかったとも思うけれど、知ってしまったからこそ、「自分が何をしたいのか」を改めて考えられた気がする。
子どもの習い事の場は、子どものための場所だ。——それだけは、ぶれないでいようと決めた。
さいごに
「見てしまった」あの瞬間の居心地の悪さ、経験した人にしか分からないですよね。正解なんてないけれど、「自分がここにいる理由」に立ち返れたのは、すごく大事なことだと思います。あなたなら、同じ場面でどうしますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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