平日夜の自宅には、いつも小さな「仕事」が残っていました。
夕食後の皿、洗濯かご、明日の弁当。
私は40代の会社員で、夫も同じくフルタイムで働いています。
それでも食後に動いているのは私の方が多く、夫はソファでスマホを眺めて休んでいることが多かったです。
「手伝って」と言えば「後でね」は返ってきますが、結局は私が全部終わらせていました。疲れているのは同じなのに、家の中だけ私の稼働時間だけが延びていくようで、心のざらつきが積もっていきました。
いつの間にか私の仕事になっていた夜の片付け
新婚当初は私の方が料理が好きだからと思って料理を担当していました。
ところが料理の後の片付け、洗濯機を回して干して畳むところまで、気づけば全ての家事が「私がやるもの」になっていました。
夫の年収は私より少し高く、数年前に昇進してから「稼ぎ」を話題にすることが増えました。
職場で成果主義の空気が強いらしく、家でも点数をつけるような言い方になっていたのだと思います。私は冗談だと受け流していましたが、笑いきれない気持ちが残りました。
洗濯機の前で刺さった「稼いでる方が偉いだろ」
ある火曜日、夕食後に食洗機を回し、脱衣所の洗濯機の前で洗濯物を仕分けていました。夫がワイシャツを手にして、「明日着るシャツある?」と聞いてきました。
私は洗濯かごを抱えたまま、「自分で探して、なければ今一緒に洗おう」と返しました。
続けて「私も今から干すから、手伝って」と言うと、夫はため息をついて、洗濯機の前でこちらを見ました。
「稼いでる方が偉いだろ。家のことはそっちで回してよ」
頭が真っ白になりました。言い返すより先に、悔しさが喉の奥に詰まりました。その場でぶつかっても、また「収入」を盾にされる気がして、私は黙って干し始めました。
私が手を止めて、夫に任せた一週間
その夜、私は家事分担の体制を戻すことを決めました。
「翌日から、夕食は作るけど、食後の片付けと洗濯はお願いね」とだけ言って席を立ちました。
夫は露骨に不機嫌でした。
皿が流しに山になり、コップが足りなくなって紙コップを買った日もありました。
洗濯物が洗濯機の中で朝を迎え、夫が「シャツがない」と慌ててコンビニの白シャツで出社した日もありました。私は胸が痛みましたが、手を出しませんでした。私が助ければ、結局いつもの形に戻ってしまうからです。
その頃、夫の会社では業績悪化の噂が続いていました。
帰宅後のため息が増え、上司との面談が入ったとも聞いていました。
数か月後、夫は部署整理で早期退職の対象になり、退職日が決まったと淡々と言いました。強がっていましたが、収入が途切れる現実に、家の中の空気まで変わっていきました。
家事メモを並べた夜、夫が初めてうなずく
退職して家にいる時間が増えた夫に、私は喧嘩の続きをする代わりに、前日の夜にメモ帳をテーブルへ置きました。「今日やること」を短く並べただけのものでした。
皿、洗濯、ゴミ、床の掃除、翌朝の準備。終わったら線を引くだけにしました。
夫はメモを見て、「これ、毎日全部?」と聞きました。
私は「そうだよ。毎日こういった細かいことの積み重ねだよ」と答えました。
夫は少し黙ってから、「こんなに色々なことをやらないといけないんだな」と苦笑いしました。
それからしばらくの間、夫は家事をすべて引き受けました。
料理も洗濯も片付けもゴミ出しも、平日も週末も夫が回しました。
最初は段取りが悪く、味が薄い日もありましたが、夫はメモに線を引くたびに少しずつ手際が良くなりました。そしてある夜、洗い物をしながら夫が言いました。
「あのときの言い方、最低だった。稼ぎで偉さが決まると思ってた」
私は「私も黙って抱え込みすぎたね」と返しました。
夫に全部背負わせて終わりにはしたくなかったので、私も食器を洗ったり、週末は作り置きを一緒にしたりしました。再就職が決まってからは、夫が「家事を全部」ではなく、二人で回す分担に落ち着きました。
リビングに残る家事が二人の手で減っていく夜が増え、夫の口癖だった「稼ぎ」の話は出なくなりました。
代わりに「明日はどっちが洗濯する?」と自然に聞かれます。
あの一言は消えませんが、毎日の行動が変わるたびに、私の中の棘は少しずつ丸くなっていきました。夫婦は勝ち負けでは回らないと、同じ目線に立って理解し合えた気がして、私の心は穏やかになれました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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