喪服をハンガーに掛けながら、私は台所のコップに水を入れた。四十九日が終わって、ようやく落ち着いたと思った瞬間だ。
背後で夫が言った。「役目は終わったな。部屋を空けろ」
言葉の意味が分からなくて、私はコップを流しに戻した。
「役目は終わり。部屋を空けろ」
義母は、三年前に足腰を悪くして在宅介護になった。同居の話が出たとき、夫は「仕事が忙しいから頼む」と言い、私は在宅の仕事を調整して受けた。
デイの送迎に合わせて生活のリズムを整え、訪問看護や福祉用具の連絡は私の携帯。通院の付添、薬の管理、夜中のトイレの見守り。買い物と食事の刻みは、手が覚えている。
四十九日の会食から戻ったその夜、夫はスーツの上着を投げるように椅子にかけ、言葉を足した。「義母さんの部屋、俺の書斎にするから。お前の荷物は玄関側の物置へ。寝室も配置替えするし、しばらく実家に戻ってて」
「しばらくって?」
「まあ、落ち着くまで。同僚も言ってたよ。嫁の仕事は介護までだって」
私は返事ができなかった。ありがとうでも、ごめんでもない言葉を、よくこんなに言えるなと思った。反論はしなかった。言葉の通りに受け取ることにした。
「嫁の仕事は終わりだろ?」が増えた夜
その後も、夫の口から出るのは同じ調子だった。
「香典返しは適当にカタログでいいだろ。宛名? 名簿どっかにあるだろ」
「母さんの年金の手続き、そっちの担当でしょ?」
「遺産は俺がやるから、お前は口出し不要」
香典の名簿を作ったのは私だ。通夜からの受付で、誰が誰の紹介で来たのか、住所の読み違いを直してもらいながら手を動かした。年金の停止や保険の清算は、窓口と必要書類の控えを私が持っている。義母の口座の通帳は夫が管理していたが、支払いの連絡と期日は私の手帳に集まっている。
「役目は終わり、か」
声に出す代わりに、私は引き出しからクリアファイルを取り出した。葬儀社、石材店、仏具店、寺、地域包括支援の担当者、ケアマネ、かかりつけの病院、役所の各窓口。番号と担当名、話が途中の用件を一枚にまとめる。公共料金や家賃、ネット回線の支払い先も付けた。
その夜のうちに、実家近くの空き部屋へネットで仮申し込みをした。翌朝いちばんで不動産店に行き、契約をした。母には「少しの間、近くに住むね」とだけ連絡した。
「了解です」の翌朝、私は鍵を置いた
朝、夫が出勤するより少し早く起きた。最低限の荷物をスーツケースに詰めて、玄関に置く。
ダイニングのテーブルに封筒を置く。中に家の合鍵と、支払い先一覧、香典返しの宛名データの入ったUSB、そして一枚のメモ。
「言われた通り、家事と介護の役目はここで終わりにします。今後の連絡はメールで。必要な連絡先は同封の一覧にあります」
最後に冷蔵庫を開け、作り置きのタッパーに付箋で日付を書いた。ドアを閉める音が自分の背中を押した。
新しい部屋にスーツケースを開け、仕事用のノートPCをWi-Fiにつなぎ、メールの署名欄に新しい住所を入れる。
「助けて」と来たけれど、返したのは連絡先だけ
最初の連絡は、家を出たその夜だった。夫から短い文面が届く。
「香典返し、どこに頼むの? 見積もりって何社?」
私は封筒に入れた一覧の写真を添えて返した。「ここに書いた仏具店と返礼品の会社。見積もりは2社以上で。寺へのお礼の金額は、会食のときにご住職が言っていた通りです」
翌日。「母さんの年金、どこに連絡?」
「年金の窓口は役所の3階。電話番号は一覧の左上。保険証の返却も一緒に」
三日後。「遺品の回収、段ボール足りない。どうすれば」
「不用品回収は混むので日程を先に押さえて。貴重品は分けて。写真アルバムはスキャン業者のパンフが義母の部屋の引き出しに入っています」
やり取りの途中で一度電話が鳴ったが、私は出なかった。メールには全部書ける。書いておけば、相手の都合で消えたり、言った言わないにもならない。そのあとで「一回だけ来てくれないか」とメールが来た。
「戻るつもりはありません。あなたが『役目は終わり』と言ったから。必要な連絡先は渡しました」
夫の返事は、しばらく来なかった。
片づけは、片づける人の責任で終わらせて
一週間ほどして、夫から届いたのは、済んだ手続きの羅列と、足りない点の質問だった。香典返しの宛名が不足していて、寺に名簿の控えをもらいに行ったこと。お礼の表書きに悩んで、電話で確認したこと。遺品の仕分けが進まず、片づけの業者に追加で来てもらうことになったこと。
「母さんのこと、全部任せきりにしてた。悪かった」
短い一文も入っていた。私は「元の戻っただけです」と返し、共有の生活費と家財の分け方の話を切り出した。連絡はメールで進め、内容をすり合わせて合意した。メールで詰めて紙にまとめ、双方がサインした。
義母の相続は夫がする。法要や遺品整理の費用も、夫が相続手続き後に承継した財産と自分の貯金から支払う。私たち夫婦の共有の貯金は半分ずつ。家の家電のうち、私が買った仕事道具は私が持ち出し、残りは夫へ。
その後、介護の負担が減った
二か月後、双方合意で協議離婚した。役所に離婚届を出した日、私は帰りに小さな観葉植物を一鉢買った。狭いキッチンでも、葉が広がる場所は作れる。
離婚後もしばらく「これで合ってる?」と連絡が来たけれど、私は確認の言葉と、必要な窓口の番号だけ返した。法要の段取りも、遺品の最終処分も、彼自身が終わらせたと聞いた。
今は実家の近くで、仕事の合間に母と昼を一緒に食べる日がある。誰かの「当然」に飲み込まれない暮らしは、こんなに静かなんだと思う。
さいごに
介護や家の段取りを「やって当たり前」と扱われるのは、ほんとうにこたえます。頑張った人ほど、言い返す気力も残っていないものですよね。
無茶な要求に「了解」と言って距離を取るのも、一つの答えでした。あなたなら、どこで手を離しますか? その先の負担は、誰のものだと思いますか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

コメント