義母の部屋で、今日も体温を測る。
食事を介助して、薬を確認して——それが私の毎朝だ。
なのに「家族会議」には、一度も呼ばれたことがなかった。
「嫁は来なくていい。血のつながった家族で決めるから」
義母が要介護2の認定を受けてすぐ、義妹が仕切り役を名乗り出た。
「これからの介護方針は家族で話し合って決める。嫁は来なくていいから」
夫はその場で何も言わなかった。私も、揉めるのが嫌で黙った。——でも実際に手を動かしているのは私だった。
義妹が顔を出すのは週に一度。薬の名前もろくに覚えていない。それでも「家族会議」は彼女が仕切り、私は蚊帳の外に置かれ続けた。
「どうせ嫁には関係ない」が積み重なっていった
会議の内容は、後から夫経由でざっくり聞かされるだけ。
「ヘルパーの時間を減らすことになった」「かかりつけ医を変える」「通所リハビリは週2に絞る」
——全部、私が毎日関わっているサービスの話だ。
意見を言う場すら与えられない。
あるとき「せめて私も入れてほしい」と夫に頼んだら、翌日に義妹からメッセージが来た。「お義姉さんって、なんで自分が中心だと思ってるんですか? 介護は家族がするものですよね?」
——家族がするもの、って。毎日ここにいるのは私なのに。
悔しくて泣いたけれど、言い返すのは違う気がした。私にできることは一つだと思った。記録をつけよう、と。
ノートに書き続けた、毎日の「事実」
その日から、A4サイズのノートに記録をつけ始めた。
日付・時刻・義母の体温と血圧・食事量・服薬確認・排泄の状態・本人の様子と発言
——1日1ページ、丁寧に。
ヘルパーや訪問看護師が来た日時も書いた。義妹が来た日と滞在時間も書いた。
「家族会議」で決まったとされる変更が、現場にどう影響したかも書いた。
感情は一切書かなかった。ただ事実だけを、淡々と。
3ヶ月が経つ頃、ノートは1冊目が終わった。
地域包括支援センターから電話が来た日
そんなある日、地域包括支援センターの担当者から電話がかかってきた。
「義妹さんから、お義母さんの介護について心配な点があると連絡をいただきまして。一度、状況を確認させていただけますか」
——心配な点?
話を聞くと、義妹は「嫁が介護を勝手に仕切っていて、服薬管理が不安」「家族が関わろうとすると排除される」と申告していたらしい。
胃がきゅっとなった。でも、同時に不思議なほど落ち着いていた。——ノートがある。
記録ノートを開いた瞬間、空気が変わった
翌週、担当者が義母の自宅に来てくれた。義妹も同席した。
現状確認を求められたとき、私は黙って2冊のノートをテーブルに置いた。
「日々の記録をつけていました。服薬管理の履歴も、ヘルパーの訪問記録も全部ここにあります」
担当者がページをめくり始めた。数分後、顔つきが変わっていた。
「……これだけ詳細な記録が残っているなら、服薬管理が不安という状況ではないですね。むしろ非常に丁寧に対応されている」
そして義妹のほうに視線を移して、こう続けた。
「介護の実務を担っている方が情報共有から外れると、ケアの質にも影響が出ます。話し合いにお義姉さんが参加されていないというのは、介護の継続という観点からも望ましくありません」
義妹の顔が、みるみる赤くなった。
「次の話し合い、来てもらえますか」——言い出したのは義妹だった
担当者はその場で、今後の支援体制の見直しを提案してくれた。
ケアマネジャーも交えた「サービス担当者会議」を定期的に開くこと、そこには介護の実務を担う私も必ず出席すること——公式の枠組みとして整えてくれた。
帰り際、義妹が小声で言った。「……次の話し合い、来てもらえますか」
頭を下げる姿を見て、怒りよりも疲れを感じた。
会議に呼ばれるようになって、変わったこと
それからは、会議に呼ばれるようになった。
義母のケアも、以前より連携が取れるようになった。義妹との関係が劇的に良くなったわけではない。でも少なくとも、私の存在を「なかったこと」にはできなくなった。
あの2冊のノートは、今でも本棚に並んでいる。お守りみたいに。
さいごに
感情をぶつけても、「嫁」というだけで跳ね返されてしまうことがある。
でも事実の積み重ねは、誰にも否定できない。どんなに理不尽な状況でも、記録という形で声を残し続けることが、いつか自分を守ってくれるかもしれませんね。介護の現場でひとり踏ん張っているあなたに、この話が少しでも届いたらうれしいです。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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