送り迎えのたび、胸のどこかがザワザワする。園門の先に、やたらと財布事情を聞いてくる同じクラスのママが立っていないか、つい探してしまうようになった。
最初に会ったのは、入園準備の説明会の帰り道だ。にこにこ近づいてきたその人は、名札を見て私の名前を呼び、「同じクラスみたいで安心した」と言いつつ、次の瞬間にはこうだ。
「ご主人って、どの会社? 大手? 年収どのくらい?」
理由は言わない。ただ、のちに彼女自身が「比べたい」「合わせたい」と口にするのを聞いて、最初から周りの相場を知りたかったのだと私は受け取った。
「『年収いくら?』で始まった朝」
その後も、会うたびに聞かれた。園庭のベンチ、連絡帳を出す廊下、門の前。話題がちょっと途切れると、彼女は必ずお金の話に持っていく。
「家は持ち家? ローンは何年? ボーナス、夏と冬どっちが多い?」
私は笑ってごまかしたり、「うちのお財布事情は言えないんだ」とはっきり伝えたりした。それでも「参考にするだけ」と食い下がってきた。普通なら、ここで察してくれると思っていた。
「『仲良しでしょ』と押してくる」
ある朝、雨上がりで足元の水たまりを子どもたちが避けていた。私は子どもの長靴を直して顔を上げたところで、例のママに呼び止められた。
「ねえ、仲がいいんだから、年収くらい教えてよ。参考にするだけだから」
門のところには、他にも数人の保護者がいた。係の連絡でよく見る学年委員のママも、旗を持って立っている。私は「言わないよ」と言ったが、彼女は引かない。
「えー、ケチ。隠すほうが感じ悪いって。私の夫、最近昇給してさ、比べたいだけ」
「比べる必要ある?」と返すと、彼女は肩をすくめて笑った。
「あるでしょ。幼稚園の後の習い事とか、みんなだいたい同じくらいに合わせるじゃん」
さっきは「参考にするだけ」と言い、今は「比べたい」「合わせる」。言い方は変わっても、欲しいのは他人の数字だ。
「『じゃあ、まずあなたが見せて?』」
私が言葉に詰まった、その時だった。そばの学年委員のママが一歩近づいて、落ち着いた声で言った。
「じゃあ、まずあなたが源泉徴収票とかローンの残高をみんなに見せたら?」
視線が一斉に集まった。彼女は一拍置いて続けた。
「順番はそっちからでいいよね。『参考にするだけ』なんだから」
周りのママたちが、うんうんと小さくうなずくのが見えた。私は何も足さなかった。委員のママは、係決めのときも話を整えてくれる人だ。ここでも同じだった。
「『個人情報でしょ!』の矛盾」
詮索してきた彼女は、眉を寄せて口をとがらせた。
「は? そんなの個人情報でしょ!」
委員のママは首をかしげた。
「そうだよ。今あなたが聞いてるのも、同じ個人情報だよ」
周りの視線が集まって、彼女は慌てて取りつくろうとした。
「え、でも……」と彼女は言いよどみ、バッグの持ち手を握り直した。「冗談だよ、朝からピリピリしないでさ」
「冗談に聞こえない回数だったよ」と、別のママがぽつり。彼女の肩が小さく跳ねた。
係の集合時間が近づき、子どもたちが列に並ぶ。彼女は「じゃ、また」と早口で言って、門から早足で離れていった。
「門の前で終わった詮索」
その日を境に、少なくとも私の前や門の前では、彼女の口から年収やローンの話は出なくなった。『じゃあまずあなたが』と言われ、自分が出せない数字を他人に求めていたことがはっきりしたからだろう。周りも同調していたので、続けづらくなったのだと思う。
私の方も、あいまいにしないと決めた。
「家のことは話さないよ」
それだけで十分だった。委員のママには後日、「助かりました」と一言お礼を言った。彼女は笑って、「困ったら、門のところにいる他のママを使ってね」と返した。
子どもに聞かせたくない会話は、門の外に置いていく。そうやって登園の朝は、また少し軽くなった。
その後
係の活動で顔を合わせたとき、委員のママが「最近どう?」と声をかけてくれた。私は「平和です」と答えた。あの人は別のグループでおしゃべりしている。笑い声は聞こえてくるけれど、少なくとも私の耳に入るような形で、誰かの財布の中身まで覗くことはない。
園の予定表には、運動会の準備が増えた。体力を使う季節が来る。余計な探り合いがなくなるだけで、毎日の通園が楽になる。
さいごに
収入や家計は、親しさを理由に踏み込んでよい話題ではありません。聞かれたくないことを繰り返し尋ねられたら、あなたはどんな言葉で境界を伝えますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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