ホテルの披露宴会場。丸テーブルの席札に、私と夫の名前が並んでいた。肩書の横に小さく「来賓」とあるのを見て、胸の奥が少しざわついた。
招待状の差出人は、学生時代に短く付き合った元彼。久しぶりのメッセージには「せっかくだから顔出して」くらいしか書いていない。共通の友人も多いし、夫も「行こうよ。せっかくの機会だし」と言ってくれて、ふたりで出席することにした。
受付を済ませ、ウェルカムドリンクを受け取ったとき。タキシード姿の新郎が、まっすぐこちらへ来た。
「格上だよ、わかる?」
「来てくれてありがと。で、君の旦那さんは何やってるの?」
開口一番、それ。夫が隣にいるのに、元彼は私の顔だけ見て言う。
「会社員だよ。今日はおめでとう」
私がそう返すと、彼は笑って肩をすくめた。
「そっか。俺、今は営業で数字も出してるし、正直さ、うちの方が格上だよ、わかる?」
夫が目を見開いた。私はグラスをテーブルに戻し、「おめでとう」の言葉で締めようとしたが、彼は続ける。
「旦那さん、年収いくら?」
「いや、悪気はないよ? 現実っていうか。旦那さん、年収いくら? 俺、去年はボーナスもけっこうでさ。来月から役職もつくんだ」
同じテーブルの友人が「その話はあとで」と小声で止めたが、彼は聞かない。私は夫に「気にしないで」とだけ伝えた。
司会者から事前に「短い来賓挨拶をお願いします」と連絡をもらっていた。肩書や表記の確認も済ませた。席札の横に置かれたプログラムにも、来賓挨拶の欄に私の名前が印刷されている。
元彼はそれを知らないのか、知らないふりなのか、さらに口が滑った。
「君、今どこだっけ? 広報? そういうのはさ、楽でいいよなぁ。うちは現場が大変で」
私は笑って受け流した。夫が一瞬だけ私の手を握った。
「来賓のご挨拶をお願いします」
開宴し、乾杯のあと。司会者がマイクを持って私の名を呼ぶ。
「本日はご多忙のなかご臨席いただいております、流通業界団体で外部広報を務める◯◯様。◯◯社でパートナー企業の窓口をご担当されています。ひと言、ご挨拶をお願いいたします」
会場の視線が集まる。私は立ち上がって軽く会釈し、用意しておいた短い言葉を伝えた。新郎新婦の門出を祝う、ごく普通の挨拶だ。
席に戻る途中、新郎側のテーブルから年配の男性が立ち上がった。新郎の会社の上司だろう。
「いつもお世話になっております。ご挨拶を…」
私は名刺入れを取り出し、差し出した。肩書には、団体名と会社名、パートナー企業の窓口と記してある。
男性は名刺を見て、はっきりとうなずいた。「今度の合同企画、よろしくお願いします」
そのやり取りを、元彼が正面で聞いていた。箸を持つ手が止まっている。
「あ、あの…さっきのは」
元彼が椅子を引き直して、こちらに身を乗り出した。
「さっきの話、ちょっと冗談が過ぎたよね。ほら、式前で緊張してて」
夫は笑顔のまま、水を口に運んだ。私は声の調子を変えずに答えた。
「今日はお祝いの席だし、気にしてないよ。新婦さんに、料理すごくおいしいって伝えて」
彼は何か言いかけて、視線を落とす。先ほどの上司がそばに来て、「先ほどは…」と私に改めてお辞儀をした。
元彼は小さく咳払いをして、声を落とした。
「今度さ、会社のことで相談があって。君のとこ、うちの重要なお客さんで…」
私は首を横に振った。
「お仕事の話は、会社宛にお願いします。担当チームがあるから」
「今後は会社宛でお願いします」
彼はうなずき、背筋を伸ばして「了解」とだけ言った。さっきまでの余裕はもうない。
披露宴はその後、滞りなく進んだ。ケーキ入刀で会場がわっと沸き、新婦の手紙では夫がハンカチを差し出した。写真撮影では、私たちも列に並び、最前列の新郎新婦に「おめでとう」と声をかけてからシャッターに合わせて笑った。
お開きの前、先ほどの上司が再び来て、「本日は本当に」と丁寧に挨拶を交わした。私は名刺入れを鞄にしまい、夫と会場を出た。
その後
数日後、私の会社に新郎の会社から正式な打診があった。窓口の担当チームが受け、私は進行の共有だけをした。個人の携帯や私的なメッセージに連絡は来ない。
夕飯の支度を手伝いながら、夫が言った。
「君の挨拶、短いのに印象に残ったよ」
「ありがとう。あの場では、あれくらいがちょうどいいね」
披露宴でのことは、それで終わり。仕事の連絡は会社で受ける。私生活の時間は、家で過ごす。
さいごに
肩書や名刺は、偉さを示すためのものではなく、場を整える助けになることがあります。見下されると腹が立つし、言い返したくなりますよね。お祝いの席こそ、短い一手で流すのも手。あなたなら、どう振る舞いますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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