彼とは結婚を見据えてつきあっていた。連休に両家で食事をしよう、と決まった。
「親には、仕事は“事務”ってことにしといて。角が立たないから」
笑って言う声に、胸の奥がざわついた。私は中堅企業の事業開発部で、新規案件の担当をしている。名刺には役職も入っている。それを「事務で」とまとめられるのが引っかかった。
「肩書き、親には伏せてよ」
最初は冗談だと思った。けれど、彼は何度も言ってきた。
「うち、昔ながらでさ。横文字とか苦手で。お前の肩書き、重いんだよ」
家でくつろいでいるときも、車の中でも、繰り返す。だんだん、私の仕事を軽く見ているのが透けて見えた。
「別に自慢したいわけじゃないけど、嘘はつきたくないよ」
そう返すと、彼は肩をすくめた。
「面倒になるから。親の前では、控えめで頼むよ」
私の仕事内容を話すと、彼は茶化すように言い換えることもあった。
「それ、難しいやつに聞こえる。書類まとめてる、でよくない?」
私が説明を始めると、途中で遮られる。それが積み重なっていった。
「その仕事、家じゃ言えない(笑)」
顔合わせの前日、決定打の一言がきた。
「その仕事、家じゃ言えない(笑)。“事務”でいこう。あ、名刺も出さないで」
笑いマークみたいな軽さに、心が冷めた。どうして私だけ、小さく見せようとするの。
それでも席はもう決まっている。私は名刺入れをバッグに入れた。渡すかどうかは、相手の出方を見て決めようと思った。
「では、名刺をお渡しします」
当日、落ち着いた和食のお店で、彼の両親と向かい合った。挨拶のあと、彼父が水を飲んでから聞いてきた。
「お勤めは、どちらで?」
私が口を開く前に、彼が被せた。
「普通の事務です。書類とか、そういう——」
「ちょうど名刺を持ってきたので…」
私は彼を見ずに、名刺入れから一枚出した。テーブルの真ん中に置く。彼父が手に取り、肩書きと社名を読んだ。
「事業開発部…課長、さん?」
「はい。今は地域物流の再編プロジェクトを担当しています」
彼父の眉が上がる。
「その件、うちも提案を出してるはずだ。えっと、社名は——」
彼父が自分の会社名を出した。私はうなずいた。
「そうです。御社にも見積りをお願いしています。進行は別担当が見ていますが、私が全体の取りまとめです」
彼母はおしぼりを畳んで置き、私を見た。
「いつも息子が、お世話になっております」
「あれ、うちの取引先…?」
彼は口を開けたまま、遅れて言った。
「いや、その…名刺って、ほら。立派に見えるやつもあるし」
彼父が小さく咳払いをした。
「立派かどうかは置いといて、仕事を“事務”と勝手にまとめるのは失礼だ。名刺は飾りじゃない」
「ごめんなさい。私の説明が先でしたよね」
私は頭を下げた。彼母が慌てて手を振る。
「いえいえ。こちらこそ失礼いたしました」
それからの会話は穏やかだった。仕事の細かい話は避け、趣味や地元の話に切り替えた。彼は合いの手を入れそびれて、箸をいじっていた。
会計のとき、彼父が私に小声で言った。
「公私を分けるのは大事だね。仕事のことは仕事として、今後ともよろしく」
「はい。私情は持ち込みません。こちらこそ、よろしくお願いします」
店を出ると、彼が早足で寄ってきた。
「さっきのはさ、場が固くなると思って。悪かったよ」
私は立ち止まった。
「“場を守る”って言いながら、私の仕事を偽ってたよね。今日だけじゃない」
「親は古いからさ。合わせただけだよ」
「じゃあ、私に合わせる日は、いつ来るの」
彼は言葉に詰まった。私は短く告げた。
「ごめん。私は、私を下に見る人とは結婚しない」
その夜、彼から「やり直したい」「誤解だよ」とメッセージが続いた。私は一つだけ返した。
「気持ちはもう決まった。」
既読がついて、返信は来なかった。
新しい毎日が動き出した
翌週、社内の定例で、あの案件の進捗が共有された。私は必要な確認をして、対外の連絡は担当者に引き継いだ。私は取りまとめの判断だけを受け持ち、私情は口に出さないと決めた。
同僚が帰り際に言った。
「顔合わせ、どうだった?」
「うん。私の選択は最初から決まってた」
夜道を歩きながら、名刺入れをバッグの奥に戻した。肩書きを隠さなくていい相手とだけ進めばいい、と心の中で線を引いた。
さいごに
軽いつもりの一言でも、相手の働きを小さく扱うと関係にひびが入ります。肩書きで競う話ではなく、敬意があるかどうか。無理に合わせず、自分を下げない選択も大切ですね。あなたなら、どこで止めますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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