実家に帰るたびに、玄関に弟のスニーカーが並んでいた。何足も、まるで引っ越してきたみたいに。
母から「ちょっと居候させてる」と聞いたのは一年以上前のことで、その「ちょっと」がずっと続いていた。
「この家は俺が継ぐんだから、姉貴は関係ない」
弟の亮介は当時42歳。私より三つ下で、仕事は半年ほど前に辞めていた。
最初は「次の仕事が決まるまで」という話だった。でも帰省のたびに弟の荷物は増え、気づけばリビングの一角に弟の荷物の「定位置」ができあがっていた。
違和感が確信に変わったのは、去年の秋口だった。
母の体調が優れず、私が泊まりで様子を見に行った週末。夕食後に弟がぽつりと言った。
「姉貴、この家のこと、あんまり口出さないでくれる?俺が継ぐから」
思わず聞き返した。「継ぐって……お母さんに話したの?」
「話し合うまでもないでしょ。俺が一番近くにいるんだから」
横になってテレビを見ていた母は、何も言わなかった。大音量のバラエティ番組のせいで聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしているのかは分からなかった。
「お母さんの通帳、俺が管理してるから」——背筋が凍った一言
それからの数か月、実家に顔を出すたびに弟からの圧力は少しずつ強くなった。
「今日も泊まるの?ホテルとらないの?」
そしてある日、ついにこう言った。
「お母さんの通帳、もう俺が管理してるから」
背筋が冷えた。——通帳を?いつから?
すぐに母に確認すると、「亮介が『面倒みてあげる』って言うから……」と、どこか申し訳なさそうな顔で答えた。
母は弟に遠慮していた。いや、怖がっていたのかもしれない。父は十年前に他界していて、誰かに頼りたいという気持ちが母の中にあったのだろうと、私は自分を納得させようとしていた。
でも通帳の件は看過できなかった。その夜、夫の誠に電話で話した。
「今週末、俺も一緒に行こうか」と夫は言ってくれた。
「余計なお世話です」——弟が夫に向けた言葉
数日後、夫と一緒に実家を訪ねた。
少し体調が戻ったという母は久しぶりに手料理を並べてくれて、最初の一時間は和やかだった。でも食後、弟が夫に向かってこう言った。
「誠さん、正直に聞きますけど、この家の相続に口出すつもりですか?部外者が来ても困るんで」
夫は少し間を置いた。それから穏やかに、でもはっきりと答えた。
「口出しに来たわけじゃないですよ。ただ、お義母さんが心配なので」
「心配?俺がちゃんと見てるんで、余計なお世話です」
そのとき、台所から出てきた母が弟の正面に立った。
私は息をのんだ。母が弟と真っ向から向き合ったのを、生まれて初めて見た気がした。
「亮介、出て行きなさい」——母が初めて放った一言
母は声を荒げなかった。ただ、真っすぐ弟を見て、静かに言った。
「亮介、出て行きなさい」
弟は「は?」と間の抜けた声を出した。
「誠さんを部外者って言うなら、あんたはなんなの。私の家に上がり込んで、私のお金を勝手に管理して。この家、誰の家だと思ってるの」
それだけだった。母は泣くこともなく淡々と言い放った。
弟はしばらく口をぱくぱくさせて、それから「……お母さんがそう言うなら」と小さく言い、自分の荷物をまとめ始めた。
私は何も言わなかった。夫も黙っていた。母の隣に並んで、ただ立っていた。
「ずっと言いたかった」——母が明かした本音
弟が出て行った後、三人でお茶を飲んだ。
母は少し照れたように笑いながら言った。「ずっと言えなかったのよ。あの子が可哀想で。でも誠さんに『部外者』って言ったとき、もう駄目だと思って」
夫が小さく頭を下げた。「俺が来てよかったです」
母はその後、弟に管理を任せていた通帳を取り戻し、近くに住む親戚にも状況を話した。弟はしばらくの間、連絡をしてきたが、母が毅然と対応を続けると、やがて音沙汰がなくなった。
今は母と二人でたまに外食をする。玄関に余計なスニーカーはない。それだけで、実家が実家らしく感じられる。
さいごに
黙っていた人の「ひと言」が、長い間つづいた空気を一瞬で動かすことがある。お母さんのあの静かな声は、きっと誰よりも重かった。大切な人が理不尽に追い詰められる場面を、そばで見守ってきた経験、あなたにもあるでしょうか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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