義姉とはとくに仲が悪いわけじゃない。むしろ表面上は穏やかで、帰省のたびに「遠いところよく来たね」とにこやかに声をかけてくれる。なのに、食卓に座るたびになんとなく胸の奥がざわつくのだ。
気づいたら義姉の前にだけ料理が並んでいる
最初に違和感を覚えたのは、結婚して最初の正月だった。
義母がせっせと大皿を運んでくるたびに、料理が義姉の正面にスッと置かれていく。刺身の盛り合わせ、ローストビーフ、煮物の大鉢……。どれも、いちばんきれいに盛られた面が義姉の方を向いていた。
席順も気になった。義父と義姉が上座に並び、夫と私は自然に下座へ。誰かが「ここに座って」と言ったわけじゃない。気づいたら全員がそこにいた、という感じで。
——あれ、これって毎回こうなの?
風呂の順番も「当然」のように義姉から
夕食後、お風呂の話になった。
義母が「じゃあお姉ちゃんから」と言い、義姉が「ありがとう、お風呂行ってくるね」とごく自然に立ち上がる。私が入ったのは結局4番目で、お湯はぬるくなっていた。
翌年も、その翌年も、同じだった。
大皿の料理は義姉の手元から取り分けが始まり、おいしそうな部位は義姉のお皿へ先に乗る。お風呂は義姉から。席は義姉が上座。まるでそこに「見えない席次表」があるみたいに、全員がそれに従っていた。
悪意がないのはわかる。義姉本人も「当然そうでしょ」という顔すらしていない。ただ、そういうものとして動いているだけなのだ。それがまた、うまく言葉にできないモヤモヤを生む。
「昔からそうだから」が、いちばんのモヤモヤだった
帰りの車の中で、夫にそっと聞いてみた。
「なんで毎回、義姉さんが最初なの?」
夫は少し考えてから、こう言った。
「昔からそうだから」
——それだけ?
聞いた私がバカみたいだった、とは言いたくない。でも、この一言で会話が終わってしまうのが、いちばんしんどかった。理由でも謝罪でもなく、ただ「そういうもの」として受け入れてほしいという空気。
私は怒っているわけじゃない。義姉に何かをしてほしいわけでもない。ただ、「なんで?」という問いに、ちゃんと向き合ってほしかっただけなのかもしれない。
来年も、きっと同じ景色が待っている
それ以来、帰省のたびに私の中で小さな実験をしている。
今年こそ違うかな、と思いながら座る。やっぱり料理は義姉の前から並ぶ。お風呂の声かけは義姉から始まる。私はまた何も言わずにお湯に浸かって、ぬるいなと思いながら上がる。
義姉は悪い人じゃない。義母も悪気はない。夫も深く考えていないだけだと思う。でも、「悪意がない」ことと「モヤモヤしない」ことは、全然別の話なのだ。
帰りの高速で外を眺めながら、また今年も何も言わずに受け入れたなあ、とぼんやり思う。来年の正月も、きっと同じ景色が待っている気がしている。
さいごに
悪意がないぶん、余計に言い出せない——そんな義実家の「空気ルール」に、じわっとモヤモヤした経験がある方は少なくないはずです。誰かを責めたいわけじゃないのに、毎回なぜか小さく傷つく。その気持ち、わかりますよね。あなたの家にも、こんな「見えないルール」、ありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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