祖父が亡くなり、法事で親族が集まるようになってから、毎回胃が重くなった。理由はただひとつ——父方の伯父の存在だ。
「お茶でも入れてなさい」が挨拶代わり
伯父は60代で、地元の農家を継いできた「長男家系の長男」という自負が人一倍強い人だった。
祖父の四十九日の席でも、初盆の集まりでも、伯父は玄関先から仕切り始める。座席の配置、お寺との連絡、会食の段取り——すべて自分が決めるのが当然だと思っているようだった。
私が何か確認しようとすると、決まってこう言われた。
「ちゃんこ(私の子どもの頃のあだ名)はお茶でも入れてなさい。細かいことは男で話すから」
笑顔で言うのが、余計に腹立たしかった。
「女の子は関係ない」と遮られ続けた
問題が表面化したのは、祖父の残した実家と土地の今後について話し合いが始まってからだ。
祖父は生前、自宅の近くに小さな畑と古い家屋をいくつか持っていた。誰が管理するのか、将来的にどうするのか——これを一周忌までに親族で話し合っておきたい、と父から聞いていた。
私は祖父が元気なころ、毎週末のように祖父の家に通い、草むしりや通院の付き添いをしていた。父は遠方に住んでいて、伯父もめったに顔を出さなかった。だから祖父と過ごした時間は、親族のなかで私がいちばん長かったと思う。
そういう経緯もあって、土地の話し合いには当事者として参加したかった。
ところが伯父は、私が口を開くたびに手を振って遮った。
「女の子は関係ない。財産の話は跡取りでやる」
「嫁に行ったらよその家の人間なんだから、首突っ込まなくていい」
私はまだ未婚だったが、それも関係なかった。伯父にとって「女」というだけで、話し合いのテーブルに座る資格がないらしかった。
一周忌の案内に、見慣れない肩書きが添えてあった
一周忌が近づいたころ、父から連絡が来た。
「今回の法事、司法書士の先生も同席することになった。祖父ちゃんが生前に預けていた書類があるらしい」
——書類?
私は少し胸が騒いだが、詳しいことは聞かずに当日を迎えた。
法事の当日、読経と焼香が終わり、会食に移る前のわずかな時間。スーツ姿の司法書士の先生が静かに口を開いた。
「故人が昨年の春に公正証書を作成されており、その内容についてご親族にお伝えする場を設けてほしいとご依頼いただいておりました」
伯父がぴくりと眉を動かした。
「土地の管理はあの子に」——祖父の言葉が場を静めた
司法書士の先生が読み上げた文書には、祖父の意思がはっきりと記されていた。
残された土地や家屋の日常的な管理・維持に関しては、孫である私(名前が明記されていた)が窓口となること。売却などの大きな手続きには私の同意を必須とすること。そして、その理由として、「長年にわたり実家の世話をしてくれたから」という一文が添えられていた。
座敷がしんと静まりかえった。
伯父はしばらく先生の顔と書類を交互に見ていた。それから、ゆっくりと私のほうを向いた。
何か言いかけて——口を閉じた。
「女の子は関係ない」と言い続けてきた人間が、その「女の子」の承諾なしには何も動かせない。自分の発言で自分の足元を崩していたのだと、ようやく気づいた瞬間だったのかもしれない。
顔を真っ赤にしたまま、伯父は席を立った
会食の間、伯父はほとんど喋らなかった。
料理に箸をつけることもなく、顔を真っ赤にしてただ苦々しい顔で座っていた。そして、食事が半分も終わらないうちに「用事がある」と言って席を立ち、逃げるように帰ってしまった。
見送りに出た父が戻ってきて、小声で言った。
「伯父さん、お前に一言謝りたかったみたいだけど、言えなかったってさ」
——謝りたかったなら、言えばよかったのに。
私はそう思いながら、残ったお茶を飲み干した。
祖父と約束した庭の手入れを、今も続けている
あれから半年ほどが経つ。
伯父からの連絡はなくなった。たまに父経由で「土地のことはよろしく頼む」という伝言が届くくらいだ。
私は月に一度、誰もいなくなった祖父の家に通って庭の草を抜き、雨漏りがないか確かめ、祖父が丹精込めた梅の木に水をやっている。
誰かに認めてもらいたくてやっているわけじゃない。ただ、祖父と「この梅、毎年ちゃんと咲かせような」と約束した記憶が、今も私をここへ運ぶ。
伯父が「女は関係ない」と言い続けた間も、私はずっとここにいた。それだけのことだ。
さいごに
「女だから」というだけで、ずっと声を遮られてきた主人公。でも、毎週末通い続けた日々は、ちゃんと祖父に届いていたんですね。地道に関わり続けた人のことは、誰かが必ず見ていてくれるものかもしれません。あなたの身近にも、こんな経験ありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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