友人たちとの久しぶりの再会で、気持ちははずんでいた。笑い声が止まらないくらい会話が弾んでいた。でも帰り道、ひとつの場面がずっと頭から離れなかった。
隣にいた女性が、静かに移動していった
5人で横並びになって話していたとき、すぐ隣に一人で立っていた女性がいた。
特に気にしていなかった。悪意なんてひとかけらもなかった。
でも気づいたら、その女性は数メートル先に移動していた。スマホを見ながら、こちらには背を向けて。
——べつに、何もしてないよな。
そう思いながらも、なんとなく胸のあたりがざわついた。
私たちは声が大きかったと思う。笑い声も、話題も、どんどん広がっていった。楽しい場所にいると、視野が自然と内側に向く。仲間の顔しか見えなくなる。
その女性が移動したのは、私たちの会話が原因だったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは正直わからない。
でも——「わからない」で終わらせていいのかな、と思った。
「楽しい側」にいると、外の景色が見えなくなる
近くにいる誰かを排除しようとしたわけでもない。
でも、内側が盛り上がれば盛り上がるほど、外側との境界線はくっきりしていく。
それって、意図せず「壁」を作っていることと、どう違うんだろう。
電車に乗ってからも、その問いが頭の中をぐるぐる回っていた。
混んでいるホームで、一人で静かに電車を待っている人の横で、5人がわいわい笑っていたら——私がその一人だったら、どう感じるだろう。
……正直、ちょっと居心地が悪いかもしれない。
悪いことをした自覚がないとき、人は「私は何もしていない」と言う。私もそうだった。でもそれって、自分の内側の話でしかない。
外にいる人にとっては、意図があったかどうかは関係ない。その場の空気が、居づらいかどうかだけが現実なんだと思う。
友人と楽しく話すこと自体は、悪いことじゃない。ただ——公共の場で「自分たちの世界」に入りすぎていないか、ときどき顔を上げて確かめることは、できたんじゃないかな。
さいごに
悪意なんてなかったのに、なんとなくモヤッとする——そういう経験、意外と多いんじゃないかと思います。「楽しい側」にいるとき、私たちはどうしても周りが見えにくくなるもの。あのとき静かに離れていった女性が教えてくれたのは、そんな小さくて大事なことだったのかも。あなたも似たような引っかかり、感じたことはありますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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