職場に悪役がいるわけじゃない。むしろ上司は「いい人」だと思う。
それでも、あの人と話すたびになぜか帰りの電車でどっと疲れるのはなんでだろう
——そんなモヤモヤが続いた、育休明けの春の話。
復職初日から「離乳食、手作りにしてる?」
産休・育休を経て職場に戻った最初の日。
デスクに荷物を置いてひと息つく間もなく、女性上司が声をかけてきた。
「おかえり! ところで離乳食、手作りにしてる? 市販のやつばっかりだと後で味覚に影響するって聞くよ」
……挨拶より先に、それ?
「夫に夕食任せるのは大丈夫? 私のとき、夫が全然できなくてひどかったから」「保育園、慣らし保育どのくらいかかった? 熱が出たときの段取りは考えてある?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問。悪意はゼロだと分かる。
でも私が話したいことより、上司が「聞きたいこと」がずっと続いていた。
週報の書き方から「ノートの選び方」まで、指導は止まらない
その後も、上司の「ケア」は続いた。
週報の書き方を変えたら「以前の形式のほうが読みやすいよ」とすぐ戻すよう言われ、打ち合わせに持参したノートを見て「私はiPadより紙派だけど、あなたはどっち?」と聞かれ、答えると「でも紙のほうが記憶に残るって研究もあるよ」と付け足される。
帰り際には必ず「無理しないでね、私も昔そうだったから心配で」の一言。
——ありがたい。本当に、ありがたいはずなのに。なんでこんなに疲れるんだろう。
「善意」だからこそ言い返せないし、消化もできない
モヤモヤの正体を考えてみた。
上司の言葉に悪意はない。経験を分けてくれようとしている。
でも毎回「私の場合はね」が枕詞で、私の状況や判断はいつも後回しになっている気がした。アドバイスの形をとった自分語り、とでも言うのか。
しかも相手が善意だから「もう大丈夫です」とはっきり言いにくい。
モヤッとしながら愛想笑いで受け取るしかなくて、その消化しきれない感情がじわじわ積み重なっていた。
だからといって、上司を変えることはたぶんできない。
それなら私が「全部受け取らなくていい」のかもしれない、と思うようにした。
「なるほど、参考にします」と言いながら、心の中では「今回は自分のやり方でいこう」と決める。情報のひとつとして受け取るだけ、採用するかは別の話。
そう決めたら、少しだけ楽になった。
上司のアドバイスが「私への命令」ではなく「上司の経験談」に聞こえるようになって、あんなに重かった帰りの電車が、ちょっと軽くなった。
さいごに
善意からくる過干渉って、悪意より反論しにくい分、地味に消耗しますよね。
「全部受け取らなくていい」——そう割り切るだけで、少し息ができるようになるかもしれません。あなたのモヤモヤも、きっと間違っていません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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