毎年恒例の親族の集まりが近づくと、どこかそわそわしてしまう。
楽しみな気持ちが半分、あとの半分は——あのいとこに何か言われるんじゃないかという、小さな緊張感。
「それはそれで素敵だよね」の”それはそれで”が気になる
いとこは都内の外資系企業に勤める30代で、英語も堪能、年収の話も自然に会話に混じってくる。悪い人じゃない、たぶん。むしろ明るくてよく笑う。
でも今年の集まりでも、やっぱりあの感じがあった。
私が地元でパートをしながら子育てしていると話すと、「えらいよ〜、それはそれで素敵だよね」とにっこり。
——”それはそれで”って、何と比べてるんだろう。
続けて「私には絶対できないな、地元に残るって、ある意味勇気いるよね」とさらっと言う。
勇気。なんで地元に残ることが「勇気」なんだ?
都会に出なかったことが、まるで一段下の選択みたいに聞こえて、でもそんなふうに受け取る私がおかしいのかな、とも思ってしまう。
悪意がないぶん、モヤモヤの行き場がない
もしあからさまに「地元ってつまらなくない?」と言われたら、むしろすっきりするかもしれない。
困るのは、いとこの言葉が全部「褒め」の形をしていることだ。
「子育てしながらパートって、すごくバランスいいじゃん」
「シンプルな暮らしって、今どき逆におしゃれだよ」
「ストレスなさそうで羨ましい」
一個一個は悪くない言葉なのに、積み重なると何かが削られていく感じがする。
帰り道、車のシートに深く沈みながら、夫に「なんか疲れたね」とだけ言った。
「楽しかったじゃん」と返ってきて、うん、楽しかったんだけど、と心の中でつぶやく。
「あ、私、いとこのものさしで測ってた」と気づいた夜
夜、子どもを寝かしつけてから、布団にくるまってぼんやり考えた。
いとこが悪い人かどうか、わからない。本当に悪意がないのかもしれないし、少し気づいてやっているのかもしれない。でも——どっちでも、私が傷ついた事実は変わらない。
そしてもう一つ気づいた。私、いつの間にかいとこのものさしで自分を測ってたな、と。
都会か地元か。外資か地場か。英語が話せるか話せないか。
そのものさしは、いとこの人生には合っているかもしれない。でも私が選んだのは、この町で、この家で、子どもの声が聞こえる暮らしだ。
比べるものさし自体が違う。そう思ったら、不思議と胸の中がすっと広くなった気がした。
さいごに
モヤッとする言葉って、悪意がないぶんだけ処理しにくいですよね。でも、相手のものさしで自分を測り続けなくていい——そう気づくだけで、少し息がしやすくなるかもしれません。自分が選んだ暮らしは、ちゃんと自分だけのものだから。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント