義父と最初にぶつかったのは、結婚して初めて迎えたお盆のことだった。あの日から私は、「しきたり」という言葉がこんなにも重く、息苦しくなるとは思っていなかった。
「嫁は夜明け前から台所に立つもんだ」
夫の実家は地方の旧家で、義父は自他ともに認める「家の当主」だ。
初めての帰省でそれは始まった。まだ外が暗いうちに義母に揺り起こされ、「お父さんがもう起きてる。台所、頼むよ」と耳元でささやかれた。
時計を見ると午前4時半。
——え、これが毎回?
その日の夕食後、義父はどっしりと座ったまま言い放った。「嫁は夜明け前から台所に立つもんだ。それがこの家のしきたりだ」。
反論する間もなく、夫は「実家のことだから」と視線をそらした。私の逃げ場は、どこにもなかった。
「しきたり」はどんどん増えていった
問題は、それだけでは終わらなかったことだ。
帰省のたびに「しきたり」は増えた。「嫁は最後に食卓に着くもの」「客間の掃除は嫁の仕事」「男衆の茶碗は嫁が洗う」。義父が口を開くたびに、新しいルールが生まれた。
「お父さん、さすがに今どきは……」と夫が小声で言いかけたこともあった。でも義父の「うるさい、家の格を守れ」の一喝で、夫はそれ以上続けられなかった。
私はいつしか帰省の前日から胃が痛くなるようになっていた。
義父に直接伝えても「嫁の分際で」と一蹴される。義母は「あの人の言うことは聞くしかない」と苦笑するばかり。夫に相談しても「帰省の間だけだから」で片付けられてしまう。
——その「間だけ」が、もう3年続いている。
法事の席に、あの住職がいた
転機は、義父の父、つまり夫の祖父の三回忌だった。
その法事に来た住職は、御年80を超えた方で、義父が子どものころから付き合いのある寺の老師だという。義父が「先生」と呼んで頭を下げる、数少ない人物だった。
法事が終わり、会食の場になった。私は台所を行き来しながら料理を運んでいた。
義父が住職に向かって、少し得意げに言った。「うちの嫁は朝も早くから働かせておりまして。昔ながらのしきたりを守っとります」。
自慢話のつもりだったのだろう。
住職は箸を置き、静かに義父を見た。
「そうですか……。でも最近は、どの家も、奥さんやお嫁さんに無理をかけない時代になりましたな」
低く、穏やかな声だった。笑いも、とがりもない。ただ、静かに。
義父は「は……」と口を開いたまま、次の言葉が出てこなかった。
義父が、初めて押し黙った
住職はそれ以上何も言わなかった。お茶を一口すすって、別の話題に移った。
でも、その場の空気は変わっていた。
親戚の叔母さんたちが「ほんとにそうですよねえ」「若い人は大変だわ」とぽつぽつ相槌を打ち始めた。
夫も、バツが悪そうにうつむいた。
義父はその後、会食が終わるまで「しきたり」という言葉を一度も口にしなかった。
帰り際、住職が玄関で私にそっと声をかけてくれた。
「今日はよく動いてくださいましたな。ありがとう」
たったそれだけで、3年分の疲れが少し溶けた気がした。
あの法事から、何かが変わった
その後の変化は、劇的ではなかった。義父がいきなり謝ってきたわけでも、しきたりがすべて消えたわけでもない。
でも、「夜明け前に起きろ」とは言わなくなった。
「嫁は最後に食べろ」という空気も、次の帰省ではなぜかなかった。夫も「疲れてたら無理しなくていいよ」と言葉をかけるようになった——住職のひと言が、夫にも何かを気づかせたのかもしれない。
義父は今もプライドの高い人だ。「しきたり」という言葉は、まだときどき出てくる。
でも、あの法事以来、義父は私を前に少しだけ言葉を選ぶようになった。80代の住職の静かなひと言が、何十年も積み上げた「当主の権威」をそっと揺さぶったのだと思う。
さいごに
「しきたり」を盾に家族を疲れさせる人は、どこの家にもいるものですよね。義父を変えたのは、怒りでも対決でもなく、長年の信頼を持つ人の静かなひと言でした。そんな言葉をかけてくれる誰かが身近にいると、少し息がしやすくなる。あなたの周りには、そっと味方になってくれる人がいますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。



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