義兄とは、いつも「なんとなく」で話が進む。
そして気づいたときには、なんとなく損な側に立っているのが私たちだ——そう感じ始めたのは、義父の米寿祝いがきっかけだった。
「細かいことは任せる、費用は各自で」のはずが
義父が米寿を迎えるにあたって、最初に声をかけてきたのは義兄だった。
「場所とか料理とか、細かいことは任せるよ。お前たちのほうが段取りうまいし」
そう言われたので、夫と私で料亭の予約を入れ、米寿の記念品を手配し、記念の写真撮影まで調整した。費用については「各自で精算しよう」と義兄夫婦とのグループLINEにも流しておいた。義兄夫婦も「了解」とスタンプを押していた。
当日、会計のタイミングで夫がまとめて払った。
「あとで分けよう」と夫は言っていた。私も特に気にしなかった。
——気にしなかったのが、そもそもの間違いだったかもしれない。
「ありがとう、次ね!」…それだけ?
翌日、夫が義兄にLINEで明細を送ると、返信は短かった。
「ありがとう、助かった。次ね!」
次って、いつ? 何に対して?
思わず画面を二度見した。
義兄家族の分を含めて約7万円、夫のカードから支払った。米寿の記念品や写真代も込みで、こちらが全額立て替えた形になっていた。「次ね」の一言で、義兄はその7万円の話は終わりにしたようだった。
義兄は公務員で、収入が私たちとほとんど変わらない。「長男として取り仕切る立場」という意識はやたら強いのに、お金が絡むと急に「みんなで」「出せる人で」になる。そのちぐはぐさが、ずっと引っかかっていた。
「まあいいじゃないか」が、いちばんこたえた
義兄への違和感よりも、正直もっとモヤッとしたのは夫の反応だった。
「7万円、返ってくる気しないんだけど」と私が言うと、夫は苦笑いしながらこう言った。
「まあ、親父の米寿だしさ。いいじゃないか」
——流しているのではなく、流せる状況にしてしまっているのだ。
義兄の「次ね」も、夫の「まあいいか」も、一回ずつなら飲み込める。でも振り返ると、似たような場面が何度もあった気がしてくる。そのたびに私も「義実家のことだし」と自分を納得させてきた。
怖いのは義兄の無神経さじゃない。
この「なんとなくうやむやにしていく空気」に、自分も少しずつ慣れていることのほうが、ずっと怖い。
さいごに
「出せる人が出せばいい」は一見フェアに聞こえるけれど、気づけばいつも同じ人が出している——そんな経験、ありませんか? お金のモヤモヤは、そのまま気持ちのモヤモヤにつながりますよね。あなたの家でも、似たようなことが起きていたりしませんか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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