深夜バスの車内は、どこか独特の静けさがある。窓の外を流れる街灯、ウトウトする乗客たち——そんな穏やかな空間が、一人の男によって一変した夜の話をさせてほしい。
「なんで黙ってんだよ!」突然の絡み
その夜、私は残業を終えて深夜のバスに乗り込んだ。私は終点までこのバスに乗る。座席は7割ほど埋まっていて、疲れた顔の乗客が静かに揺られていた。
バスが3つ目の停留所を過ぎたころ、後方のドアから大きな足音が響いた。
50代くらいだろうか。スーツのネクタイをゆるめた男性が、よろめきながら乗り込んできた。顔は赤く、目がすわっている。——ああ、酔っぱらっている。すぐにわかった。
男性は通路をふらつきながら進み、なぜか私の隣の席に持っていた荷物の1つを投げるように置いた。そして私の顔をじっと見て、突然こう言い放った。
「ねえ、なんで前向いてんの。感じ悪くない?」
意味がわからなかった。前を向いているのは当然だ。私は静かに視線を窓に移した。
「おい、無視すんなよ! なんで黙ってんだよ!」
声が大きくなる。周囲の乗客が何事かといわんばかりの表情でこちらを見始めた。でも、誰もが、私と目が合うと素早く顔をそらす。
助けを求めたのに…運転手も「困ります」の一言だけ
停留所に止まるたびに、私は前方の運転席を意識した。アナウンスのタイミングで振り返り、目で「助けてほしい」と訴えた。
次の停留所でドアが開いたとき、思い切って立ち上がり、運転手さんに小声で話しかけた。
「後ろの方が少し……大声で絡んできていて」
返ってきたのは、「車内でのトラブルはお客様同士でどうにかしていただいて……こちらも困ります」という一言だった。
——え。そういうものなの……?
席に戻ると、男性はさらに機嫌を悪くしていた。
「なんか言いに行ったろ。俺のこと言ったんか。最悪やな」
声はどんどん大きくなり、通路に立ち上がって怒鳴り始めた。他の乗客は完全に固まっていた。私も体が縮まるような感覚で、ただ前を向いていた。
——とにかく、終点まで。それだけを考えた。
「俺は悪くない!」と叫んだ直後、男は自分で転んだ
男性は怒鳴りながら通路を行ったり来たりし始めた。「俺は何も悪いことしてない!」「なんでみんな見てんだよ!」
バスが緩やかなカーブに差し掛かった瞬間だった。
男性は足をもつれさせ、自分で持っていた大きなトートバッグを通路に投げ出すように落とした。そのまま体勢を崩し、座席の肘掛けにぶつかってドスンと床に座り込んだ。
車内のあちこちでスマホを持つ人たち。録画し始めた人、すでにカメラを向けていた人——気づけば5人以上が男性にスマホを向けていた。
男性はそれに気づいて、みるみる顔色が変わった。
「な、なんで撮ってんだよ……」
さっきまでの怒鳴り声が、急に小さくなった。立ち上がろうとしてまたよろけ、座席の背もたれをつかんで必死に体を起こす姿には、もうさっきの威勢など欠片もなかった。
終点で待っていた「助っ人」、男は静かに連れて行かれた
バスは終点のターミナルに到着した。ドアが開くと同時に、停留所に立っていた警備員の男性2人がすっと乗り込んできた。
どうやら運転手が無線で連絡を入れていたらしい。「困ります」の一言で終わりではなかったのだ。
警備員は男性に穏やかに、しかしきっぱりとした口調で話しかけた。
「少しお話をうかがえますか」
男性はもごもごと何か言っていたが、もはや抵抗する気力もないようだった。スマホを向けられ、床に転んだ時点で、心が折れたのかもしれない。
私はバスを降りながら、深く息を吸った。夜の空気が冷たくて、ありがたかった。
あの夜から変わったこと
あの一件以来、深夜バスに乗るたびにあの場面を思い出す。
誰かが助けてくれるとは限らない。でも、誰かが見ていないわけでもない。
怒鳴れば怒鳴るほど、目立てば目立つほど、自分の醜さをさらしていたのは男性自身だった。静かに前を向いていたこと——それだけが、あの夜の私にできた「正解」だったのかもしれないと、今でも思う。
さいごに
理不尽に絡まれても黙って前を向き続けた末に、怒鳴り続けた男が自分で転んで幕を閉じた夜。一番恥をかいたのは、結局自分だったんですよね。深夜の移動中にひとりでこんな思いをしたこと、あなたにもありませんか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


コメント