結婚して七年。義母のことを「少し不思議な人」と受け流してきたけれど、娘がぽつりとこぼした一言が引っかかった。
義母がなぜここまで孫への接し方を変えるのか、ずっと分からなかった。
義父の七回忌の日、その理由を初めて知った。
「気持ちだけよ♡」は毎年お菓子
義兄の子どもたちには、誕生日のたびに義母から大きな箱が届く。
おもちゃや服、図書カードまで入っていて、かなり奮発しているらしい。習い事の費用まで「おばあちゃんが出すね」と援助することがあると聞いた。
一方、うちの娘の誕生日は、毎年ほとんど同じだった。
「誕生日おめでとう♡ 気持ちだけよ」
テーブルに置かれるのは、小さなお菓子の袋。
金額の問題ではない。
ただ、親族で集まるたびに義兄の子どもたちが義母からもらったものの話をするので、娘にも少しずつ違いが分かるようになっていた。
六歳の誕生日を迎える前の晩、娘が小さな声で言った。
「今年も、お菓子かな」
胸が詰まった。
私は何も言えず、娘を抱き寄せた。
それからは、義母の家で娘の誕生日を祝うのをやめた。誕生日は自宅で家族だけで祝う。
親族が集まる法事や行事には顔を出すけれど、娘が義母と一対一で過ごす予定は、こちらからは作らなくなった。
娘に何度も「比べられる場」を経験させたくなかった。
夫は「昔からそうだから」
翌年、娘が七歳になった頃、私はもう一度夫に話した。
これで三度目だった。
「もう娘も分かる年齢だよ。同じ孫なのに、ここまで差があるのはつらいよ」
夫は湯飲みを持ったまま、困ったように首をひねった。
「母さん、昔からああいう感じでさ。悪気はないと思うんだよ」
「悪気がなくても、娘は傷ついてるよ」
そう返すと、夫はしばらく黙った。
「……分かった。俺からも話してみる」
そう言ってくれたものの、大きな変化はないまま時間だけが過ぎた。
七回忌の日に出てきた、義父の手紙
義父の七回忌の日。
法要が終わり、親族で食事を始める前だった。
義兄が一通の古い封筒をテーブルに置いた。
「これ、少し前に父さんの書類を整理してたら出てきたんだ」
封筒には義父の字で、「家族が集まったときに読んでほしい」と書かれていたという。
義兄が中の便箋を取り出した。
最初の数行を読んだところで、私は耳を疑った。
「私は息子を連れて再婚した。血のつながらない子を家族として迎え、育ててくれた妻には感謝している」
私は思わず隣の夫を見た。
初めて聞く話だった。
夫は驚いた様子もなく、ただ目を伏せていた。
義父の手紙は続いた。
「ただ、家族になった以上、息子も、その先に生まれる子どもも、分け隔てなく接してほしい。子どもには何の責任もない」
さらに、義父が生前、夫と義兄への接し方について何度も義母と話していたことも書かれていた。
義兄の子どもたちは義母にとって血のつながった孫。
娘は、そうではなかった。
それまで理由の分からなかった違いが、一気につながった。
私はもう一度、夫を見た。
夫は小さな声で言った。
「……言ってなかったな。ごめん」
幼い頃から義母を母親として育ってきたため、自分からわざわざ話すことではないと思っていたという。
そして、義母との間に感じていた小さな差についても、「昔からこうだから」と自分自身が慣れてしまっていた、と話した。
「同じように接してもらえないなら」
手紙が読み終わると、部屋は静かになった。
義兄の妻が私を見た。義兄も何も言わず、膝の上で手を組んでいる。
義母は俯いたままだった。
私は娘の肩にそっと手を置いて、義母に向き直った。
「金額を同じにしてほしい、という話ではありません」
義母が顔を上げた。
「ただ、娘だけが『自分は違うんだ』と思うような接し方が続くなら、そういう場には連れて来ません」
言葉に力は込めなかった。
ただ、これから守る線を伝えた。
義母「そんなつもりじゃなかった」
義母はしばらく黙ってから、ようやく口を開いた。
「そんなつもりじゃなかったのよ」
少し間を置いて続ける。
「向こうの子たちはよく遊びに来るし、人数も多いから……つい」
夫が義母を見た。
「母さん」
声は静かだった。
「俺もずっと、『昔からこういう人だから』って流してた。でも父さんは、ずっと気にしてたんだな」
義母は何も言わなかった。
「俺のことはもういい。でも、子どもたちにまで同じことをしないでほしい」
七年間、胸の奥に引っかかっていたものが、そこでようやく形になった気がした。
私が気にしすぎていたわけではなかった。
その後、距離と小さな変化
七回忌から数か月。
義母から、改まった謝罪の言葉はなかった。
それでも娘の次の誕生日には、小さな箱が届いた。中には娘が好きそうな絵本とぬいぐるみが入っていた。
以前のような「気持ちだけよ」という言い方もなかった。
だからといって、以前のように頻繁に会わせるようになったわけではない。
親族の集まりの日程や連絡は夫が中心になって調整し、私たちは今も少し距離を取っている。
娘には、
「おばあちゃんに会うときは、みんながいるときにしようね」
とだけ伝えた。
娘は「うん」と頷き、それ以上気にする様子もなく学校の話を始めた。
それでいいと思った。
義父の手紙は、誰かを責めるために残されたものではなかったのだと思う。
自分がいなくなったあとも続く家族に、「ここだけは忘れないでほしい」と伝えるためのものだったのかもしれない。
私は娘を守るための線を口にした。
夫も、今度はその線のこちら側に立ってくれた。
今は、それで十分だと思っている。
さいごに
大人同士の複雑な感情が、いつの間にか子どもへの接し方に表れてしまうことがあります。
けれど、その事情を子どもが背負う必要はありません。
「金額を揃えてほしい」のではなく、「自分だけ大切にされていない」と感じる場面を重ねさせないこと。
親にできるのは、ときには距離を取り、守るべき線を言葉にすることなのかもしれません。
あなたなら、家族の中で子どもへの扱いに差を感じたとき、どこで距離を取りますか?
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。



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