秋の遠足で、小学三年生の子どもたちを乗せた特急に乗り込んだときのことだ。私は学年の保護者代表として、ほかの保護者三人と一緒に引率をしていた。
子どもたちを席に座らせ、荷物を網棚に上げ終わったところで、私たち保護者はあえて座らず、通路に立って車両の様子を見ていた。誰かが具合を悪くしないか、席を間違えて座っていないか、確認するためだった。
「ここ自由席でしょ?」
発車して五分もしないうちに、後ろの車両から一人の男性が入ってきた。四十代の私と同じくらいか、少し上に見える年配の男性だった。
男性は空いている席を探しながら歩いていたが、私たちの団体の並びまで来ると足を止めた。子どもたちが窓側と通路側に二人ずつ座っている席を見て、眉をひそめる。
「ここ、自由席でしょ?子ども二人で二席使うのおかしくない?」
隣の男の子が驚いて私の方を見た。私は男の子の前に出て、団体用の乗車券を見せながら答えた。
「すみません、ここは団体の指定席です。学校の遠足で、この号車をまとめて予約しています」
「そんなわけないでしょ。俺、自由席の切符しか持ってないけど、ここ座っていいはずだよ」
「指定券なんて見せられても分かんないよ」
男性は乗車券を見たただけで、納得した様子を見せなかった。
「指定券なんて見せられても分かんないよ。自由席は先着順でしょ。子どもが二人がかりで席を占領してるのが、そもそもおかしいんだよ」
声が少しずつ大きくなる。子どもたちも会話が止まり、私の顔と男性の顔を交互に見て様子をうかがっている。隣の男の子は膝の上でお菓子の袋をぎゅっと握ったまま動かなくなった。
「切符、見せていただけますか。号車が違うかもしれません」
私がそう言うと、男性は面倒くさそうにポケットから切符を出した。号車の欄を見る前に、私は横で聞いていた保護者仲間にアイコンタクトをした。
「私が車掌さんを呼んできます」
一人がそう言って、隣の車両へ向かった。
車掌が座席表を開いた結果
数分後、車掌がやってきた。男性の切符と、私が渡した団体の乗車券、両方を受け取って確認する。
「お客様の切符は自由席の乗車券ですね。この号車は団体の指定席車両ですので、自由席は二両後ろになります」
車掌はそう言うと、座席表を広げて号車ごとの割り当てを見せた。子どもたちの座席番号がすべて記載されている。
「お子さんたちは全員この号車で指定を取られていますよ」
男性が私たちを見る。私は続けて説明した。
「私たち保護者が座らずに立っているのは、子どもたちの様子を見て回るためです。酔ってしまう子や、途中でトイレに行きたくなる子がいるので」
男性は切符に書かれた号車の数字と、車掌が指した案内板を見比べた。自分が乗るべき自由席車両は、確かに二両後ろだった。
「ああ、俺、号車間違えたのか」
男性はそう小さく言うと、車掌に頭を下げて隣の車両へ移っていった。
車掌も一礼して去っていく。子どもたちも、何事もなかったように自分の座席に視線を戻した。
隣の男の子が私の袖を引っ張った。
「怖い人だった?」
「大丈夫。号車を間違えただけだって」
そう答えると、男の子はホッとした顔でお菓子の袋を開けた。
その後の道中
保護者仲間が戻ってきて、私の肩を軽く叩いた。
「さすが、落ち着いて対応してたね」
「いや、内心はけっこう焦ったよ」
そう言いながら、私はようやく空いている席に腰を下ろした。窓の外を子どもたちと一緒に眺めながら、残りの道中は何事もなく過ぎていった。
さいごに
思い込みで詰め寄ってしまうと、自分の見落としに気づけないまま声が大きくなってしまうものです。今回は号車を確認した車掌の一言で、その場にいた誰もが納得できる形に落ち着きました。子ども連れで公共の場にいるだけで肩身が狭くなる、そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。同じような場面に出くわしたら、確認できる人を呼ぶという選択肢を思い出してもらえたらと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。


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